死ではなく、眠りにつく ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 創世記47:30 「私が先祖たちと共に眠りについたなら、私をエジプトから運び 出して、先祖たちの墓に葬ってくれ」。するとヨセフは言った、「私はきっと、 あなたの言われたとおりにいたします」。(新改訳) 1テサロニケ4:13 眠っている人たちのことについて、……望みを持たない他 の人たちと同じように、あなたがたが悲しむことがないためです。(14節)なぜ なら、イエスが死んで復活されたことをわたしたちが信じるなら、神は同じよ うに、イエスを通して眠りについた人たちをも、彼と共に連れ出してくださる からです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 人間的に言えば、だれ一人死にたくはありません。しかしながら、ヤコブは彼 の死を眠りと見なしました(創47:30)。だれ一人死ぬことを好みませんが、どん な人も眠りは享受します。特に、疲れ果てた時、眠ることはとても心地のいい ものです。百四十七年間、ヤコブは重い荷を負い、多くの事に巻き込まれてき ました。非常に多くの問題を耐え忍んだ後、彼には安息し眠る時が来たのです。 こうして、ヤコブは死を眠りと考えました。 死を眠りと見なすことにより、ヤコブが復活を信じていたことを暗示していま す。眠る人たちは十分安息した後に目覚めます。夜の心地よい眠りから目覚め る時、わたしは新鮮にされています。ヤコブは三千七百年間、眠ってきました。 主イエスが地上におられた時、ヤコブの子孫であるパリサイ人とサドカイ人た ちは、ヤコブが目覚めるのかどうか、すなわち復活するかどうかを論じていま した。古代の根本主義者であるパリサイ人たちは復活を信じましたが、サドカ イ人たちは信じませんでした。もちろん主イエスは復活を信じました。主はサ ドカイ人に、神はアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神であると言いさえ しました。これは、神が死んだ者の神ではなく、生きている者の神であること を示しています(マタイ22:32)。ヤコブはいまだに安息して、復活の時を待って います。 ――――――――――――――――祈り――――――――――――――――― 父なる神よ、わたしが生きていて働いていても、死の中で安息していても、あ なたはわたしにとって復活の神です。人間の死はあなたにとっては単に眠りで あり、その眠りからあなたの信者たちをあなたは目覚めさせてくださいます。 そのような望みのゆえに、あなたに感謝します。アーメン。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉 は、ウィットネス・リー著「ライフスタディ創世記」メッセージ第109編(1984 年版)から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。