神のあわれみがわたしたちに届く ――――――――――――――聖書の節(回復訳)――――――――――――― ローマ9:15 なぜなら、彼はモーセに言っておられるからです、「わたしは自 分のあわれもうとする者をあわれみ、慈しもうとする者を慈しむ」。(16節)で すから、それは人が決意することによるのではなく、走ることによるのでもな く、神があわれみを示されることによるのです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― あわれみは恵みよりも遠くに届きます。あなたがわたしの所に親愛な友人とし て来て、わたしに聖書を贈り物として与えてくださるなら、それは恵みです。 しかしながら、わたしがあわれで不潔な乞食であり、自分では何もすることが できない者であるのに、あなたがわたしに十ドル与えてくださるなら、それは 恵みではなく、あわれみです。このように、あわれみは恵みよりも遠くにまで 届くのです。恵みは、それにふさわしい状態へと届きます。しかし、あわれみ はもっと遠くにまで、あわれで恵みに値しない状態にまで届きます。 わたしたちの天然の状態によれば、わたしたちは神から遠く離れ、神の恵みに まったく値しない者でした。わたしたちはただ神のあわれみを受けることしか できませんでした。神のあわれみは、人の良い状態において示されるのではな く、人のあわれむべき状態において示されるのです。それは神の恵みよりも遠 くにまで届きます。 わたしたちすべての者に届いたのは神のあわれみです。わたしたちのだれ一人 として、神の恵みにふさわしい状態にあった者はいませんでした。わたしたち はあまりにもあわれで、みじめであったから、神のあわれみが、わたしたちと 神との間の溝を橋渡しする必要がありました。わたしたちを神の恵みの中にも たらしたのは、神のあわれみです。何とわたしたちはこれを認識して、神のあ われみのゆえに何と神を礼拝する必要があることでしょう! わたしたちは何 と神のあわれみを必要とすることでしょう! わたしたちは神の恵みを高く評 価するのと同じように、神のあわれみを心に刻み付けておかなければなりませ ん。わたしたちを神の恵みにあずかるよう資格づけるのは、いつも神のあわれ みなのです。 ―――――――――――――――祈り―――――――――――――――――― 父なる神よ、あなたのあわれみが、あわれな状態にあるわたしに届いたことを 感謝します。今日でさえも、あなたのあわれみがわたしに届いているので、わ たしはあなたをわたしの恵みとして享受することができます。わたしはあなた のあわれみを決して忘れません。他の人にもあなたのあわれみが届いてくださ いますように。アーメン。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉 は、ウィットネス・リー著「新約ライフスタディ・ローマ人への手紙」の第22篇 (1997年版)から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。