TITLE : eManna Japan Archive 神によって定められた道を受け入れる ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― マタイ3:13 その時、イエスはガリラヤからヨルダンに、ヨハネの所へ、彼によ ってバプテスマされるために来られた。(14節)ところが、ヨハネは彼をとどめよ うとして……。(15節)しかし、イエスは彼に答えて言われた、「今はそうさせて もらいたい。このようにしてすべての義を成就するのは、わたしたちにふさわし いことである」。そこで、ヨハネは彼の言われるとおりにした。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 義は、神が定められた道にしたがって生き、歩み、物事を行うことによって正し くあることです。旧約では、神の与えられた律法を守ることが義でした。今や神 はバプテスマのヨハネを遣わして、バプテスマを定められました。バプテスマさ れるとは、神の御前に義を成就すること、すなわち神の要求を成就することでも あります。主イエスは、神としてではなく、典型的な人として、ヨハネの所に来 られました。ですから、主イエスはバプテスマされなければなりませんでした。 そうでないと、彼は神に対して正しくないことになったでしょう。 バプテスマのヨハネの時、神はバプテスマを道として定められました。天の王国 に入りたい者はだれであれ、ヨハネのバプテスマの入り口を通過しなければなり ませんでした。イエス・キリストでさえ例外ではあり得ませんでした。彼でさえ、 この入り口を通過しなければなりませんでした。そうでないと、彼はこの入り口 を通過するという義に欠けたでしょう。主がヨハネに15節のように答えられた後、 ヨハネは了解し、主をバプテスマしました。 バプテスマされることは神の目に義です。わたしたちの存在の終結と発芽は、神 の御前に義です。バプテスマされた者、すなわち、終わらせられて発芽させられ た者は、神に対して正しいのです。神のエコノミーは、わたしたちの天然の人を 終わらせ、わたしたちを新しい命で発芽させることです。神に対して正しくあろ うとするなら、わたしたちの天然の命が終わらせられ、彼の神聖な命で発芽させ られなければなりません。終結と発芽は最高の義です。 ――――――――――――――――祈り――――――――――――――――― 父なる神よ、わたしの天然の命が終結させられ、あなたの神聖な命で発芽させら れることを、わたしの中で実際としてください。わたしが自分のクリスチャン生 活のあらゆる面を、あなたが定められた道にしたがって生きるよう導いてくださ い。アーメン。