自分自身を主にささげる ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 1コリント6:19 それとも、あなたがたの体が、内にある聖霊の宮であることを 知らないのですか? この聖霊は、あなたがたが神から受けたものであって、あ なたがたは、自分自身のものではないのです。(20節)なぜなら、あなたがたは代 価をもって買い取られたからです。ですから、あなたがたの体において、神の栄 光を現しなさい。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (後半) わたしたちの主は、わたしたちのために自分の命を捨て去り、代価をもってわた したちを買い戻してくださいました。わたしたちは主に買われた者たちです。主 はわたしたちを贖ってくださったので、わたしたちは主のために喜んで自分自身 の自由を捨てます。わたしたちはもはや自分自身のものではありません。わたし たちは主のものです。わたしたちは必ず自分の体をもって神に栄光を帰さなけれ ばなりません。なぜなら、わたしたちは自分自身のものではないからです。わた したちは代価をもって主によって買われたのです。主が十字架上で流された血が、 主の払われた代価です。ですから、主の権利から言っても、わたしたちは主のも のなのです。 わたしたちは、自分が主によって買われた者であることをはっきりと知らなけれ ばなりません。主は最高の代価をもってわたしたちを買われました。主がわたし たちを買われたのは、金や銀をもってではなく、彼ご自身の血をもってでした。 ここでわたしたちは、主の権利と同様に主の愛も見ます。わたしたちが主に仕え るのは、主がわたしたちを愛してくださるからです。わたしたちが主に従うのは、 主がわたしたちに対して権利を持っておられるからです。贖いによって獲得され た権利のゆえに、わたしたちは自分自身を主にささげずにはいられません。贖い から生じた愛のゆえに、わたしたちはやはり自分自身を主にささげずにはいられ ません。献身の根拠は、主の愛であるのと同時に、主の権利でもあります。それ は合法的な権利であり、人のあらゆる感傷的な愛を超えています。これら二つの 理由により、わたしたちは自分自身を主にささげなければなりません。 ――――――――――――――――祈り――――――――――――――――― 愛する主イエスよ、わたしを贖い、買い取ってくださった尊い血のゆえに、あな たに感謝します。あなたは最高の代価をもってわたしを買い取ってくださいまし た。今日わたしは、わたしが自分のものではなく、あなたのものであることを認 識しました。わたしはあなたに仕えるために、進んで自分の自由を失うようにと 祈ります。アーメン。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー著「キリスト者の基本的な認識と経験(一)」第3篇から引 用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。 eManna Japanホームページ: http://www.emanna-japan.com 登録の削除: mailto:unsubscribe@emanna-japan.com へメールを送ってください。 コメント: mailto:comment@emanna-japan.com へメールを送ってください。