わたしたちの祈りの中におられる神 ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― マルコ11:24 こういうわけで、わたしはあなたがたに言う。あなたがたが祈っ て求めるものはすべて、受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになる。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 人の観点から見れば、祈りと願いは現在の事柄であり、「そのとおりになる」は 未来の事柄です。「祈り求める」ことと「受ける」こととの間には、時間の隔た りがあります。わたしが神に祈って、病のいやしや、罪人の救いや、働きの達成 について求める時、いつ病がいやされ、いつ人が救われ、いつ働きが達成される のか、わたしにはわかりません。人の目には、祈りが答えられるのは未来のこと です。しかし、ここでの主イエスの言葉はとても独特なものです。彼は本物の信 仰について語っておられます。「あなたがたが祈って求めるものはすべて、受け たと信じなさい。そうすれば、そのとおりになる」。 わたしたちはしばしば思いの中で、「受けたと信じなさい」の「受けた」を読み 違えてしまいます。わたしたちはしばしばそれを、「受けるであろうと信じなさ い。そうすればそのとおりになる」とか、「受けることができると信じなさい。 そうすればそのとおりになる」とか、「必ず受けることになると信じなさい。そ うすればそのとおりになる」と変えてしまいます。しかし、ひとたびそれを変え てしまうなら、それはもはや信仰ではなくなります。ただ一つの信仰、「神はあ る」と信じる信仰だけが、真の信仰です。主の言葉は、「受けるであろう」とは 言っていません。「受けた」と言っています。わたしはそれらを今すでに受けて いると、わたしは信じるのです。わたしは将来の事を待っているのではありませ ん。わたしたちはこの事を見ているでしょうか? ――――――――――――――――祈り――――――――――――――――― 主イエスよ、わたしの中に真の信仰を生み出してください。あなたが祈りに答え てくださる方法に関して、わたしの信仰が間違った見方によって制限されること がないよう、わたしは祈ります。「受けた」……「受けた」……。このような信 仰をもって祈ることを、わたしに教えてください。アーメン。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第36巻「中心的なメッセージ」の「キリストは道、真理、 命である」メッセージ第4編(1998年版)から引用されています。いずれも日本福音 書房から出版されています。