神の命の中で反応する(2) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― マタイ5:41 だれでもあなたに強いて一マイル行かせるなら、彼と一緒に二マイ ル行きなさい。(43節)『あなたの隣人を愛し、あなたの敵を憎め』と言われたこ とを、あなたがたは聞いている。(44節)しかし、わたしはあなたがたに言う。あ なたの敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。(45節)それは、あなたがたが、 天におられるあなたがたの父の子となるためである。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第2編) 主がわたしたちに定められた反応は、だれかがわたしたちの頬を打ったら怒ると いうものではありません。だれかがわたしたちの下着を取ろうとしたら忍耐する というものでもありません。主は、だれかがわたしたちの右の頬を打つ時、左の 頬を向けて再び打たせなさい、下着を取ろうとする者には上着も与えなさい、と 言っておられます。この種の反応は、忍耐ではなく、超越です。この種の反応は、 人の要求の上を行きます。人はこれだけ要求しますが、わたしたちは神の御前で もっと多くを持っていて、その人の要求に応じることができるのです。わたした ちはただ人の要求に応じるだけでなく、人の要求を超越するのです。 兄弟姉妹よ、主は、クリスチャンにはただ一つの反応だけがあることをわたした ちに見せています。その反応は、理屈を言うことでも忍耐することでもなく、彼 の聖なる命の中で超越することです。超越していないのはクリスチャンではない ことを、覚えておいてください。主は、目には目をとは言っておられません。だ れかがわたしの目を傷つけるなら、わたしもその人の目を傷つけるというのでは ありません。だれかがわたしの目を打っても、わたしは忍耐して何も言わない、 というのでもありません。主は、目には目を加えなさい、と言っておられます。 「目には目を」は一つの反応であり、怒りは一つの反応であり、忍耐も一つの反 応であり、「目には目を加える」も一つの反応です。これら四つの反応の中で、 前の三つはすべて拒絶すべきものです。 ――――――――――――――――祈り――――――――――――――――― 父なる神よ、あなたがわたしに求める反応は、あなたがキリストの中でわたしに 与えてくださった命にしたがっていなければなりません。人との衝突における人 の要求を超越する力のゆえに、あなたに感謝します。あなたの超越した命と協力 する恵みを、わたしに賜ってください。アーメン。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第49巻「初心者を成就するメッセージ(二)」(1999年版) メッセージ第24編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されて います。