根気よく祈ることを学ぶ(2) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ルカ11:8 わたしはあなたがたに言う。自分の友人だからということで、起きて 何も与えなくても、その厚かましいしつこさのために、起きて、必要なものを与 えてくれるであろう。(9節)そこで、わたしはあなたがたに言う。求めよ、そう すれば、与えられる。捜せ、そうすれば、見いだす。門をたたけ、そうすれば、 開かれる。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第2編) ルカによる福音書第18章1節から8節でわたしたちは、目に見える領域からの祈り を見ます。この種の祈りは、ヨベルのわたしたちの享受に関係があります。多く の時、主の忠信な追従者であるこれらの人々の子供たちは、なぜ迫害を受けてい るのかとその両親に尋ねます。彼らは、「わたしたちは主イエスをこんなに愛し ているのに、なぜ苦しまなければならないのでしょうか?」と尋ねるでしょう。 普通は、両親はどう答えるべきかを知りません。子供たちにとって、彼らの両親 が従っている主は義しくないように思われます。わたしたちもまた、主を愛して 主に従っているのに、なぜ苦しむのかを不思議に思うかもしれません。第18章1 節から8節のたとえ話は、わたしたちの疑問に答えます。 わたしたちの夫は一見すると不在で、わたしたちは地上に一人のやもめとして残 されているように思われる時、一時的に、わたしたちの神は不義なる裁判官であ るように見えます。彼は不義であるように見えますが、わたしたちは依然として 彼に訴え、根気よく祈り、彼を何度も何度も煩わさなければなりません。わたし たちは第18章1節から8節に記録されているようなたとえ話を理解するのに、注意 深くある必要があります。わたしたちはそれを天然的な方法で理解しようとすべ きではありません。一方において、このたとえ話は裁判官が主権者であることを 示します。これは、彼が裁くかどうかは、彼にかかっていることを意味します。 一見すると、理由もなく、彼はやもめの言うことを聞くかもしれませんし、また は聞かないかもしれません。このたとえ話は、彼が主権者なる主であることを、 また彼は望む時はいつであれ裁くことを啓示します。他方において、このたとえ 話は、わたしたちが根気よく祈ることによって主を煩わす必要があることを示し ます。わたしたちは彼に言う必要があります、「主よ、祈ることはわたしの義務 です。あなたの義務ではありません。あなたは、わたしが祈るべきではないと決 して言われませんでした。それどころか、あなたはわたしに祈るようにと命じら れました。こういうわけで、主よ、わたしは今あなたを立証するために祈ってい ます」。このたとえ話の意義は深遠です。わたしたちはみな、ここに啓示されて いるような方として神を知る必要があります。わたしたちはまた、ここに記述さ れたような祈りが、わたしたちがヨベルを享受するのを助けることをも見る必要 があります。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・ルカの福音書(三)」(1987年版)メッセ ージ40から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。