理解せず、盲目である(1) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ルカ18:34 弟子たちはこれらの事を、何も理解しなかった。この言われたこと は彼らに隠されていて、何が言われているのか、彼らにはわからなかった。(35 節)さて、イエスがエリコに近づかれた時、ある盲人が道ばたに座って、物ごい をしていた。(36節)彼は群集が通り過ぎるのが聞こえたので、これは何事かと尋 ねた。(37節)人々は、ナザレ人イエスが通っておられるのだと言った。(38節)す ると、彼は叫んで言った、「ダビデの子イエスよ、わたしをあわれんでください!」。 (39節)先頭を行く者たちは、彼をしかって黙らせようとしたが、彼はますます叫 んだ、「ダビデの子よ、わたしをあわれんでください!」。(40節)イエスは立ち 止まって、彼をご自分の所に連れて来るようにと命じられた。彼が近づいたので、 彼に問われた。(41節)「わたしに何をしてもらいたいのか?」。彼は言った、 「主よ、見えるようになることです!」。(42節)イエスは彼に言われた、「見え るようになれ。あなたの信仰があなたをいやしたのだ」。(43節)すると、彼はた ちまち見えるようになり、神に栄光を帰しながらイエスに従って行った。すべて の人はそれを見て、神に賛美をささげた。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第1編) なぜ弟子たちは、主の死と復活に関する言葉を把握することができなかったので しょうか? 彼らが理解することができなかった理由は、彼らが全く別の王国の 中に、彼ら自身の王国の中にいたからです。彼らは、自分自身の王国の中にいた ので、神の王国の事柄についての心を持っていなかったのです。 主がご自身の死と復活を三度目に啓示されたことは、エリコの近くで盲人をいや されたことと関係があります。実は、主の弟子たちは盲目でした。そして、いや しを必要としていました。彼らは、主が死と復活とについて言っておられること を理解できませんでした。なぜなら、彼らは理解力と洞察力に欠けていたからで す。こういうわけで、主の死と復活の三回目の啓示に続いて、わたしたちは盲人 のいやしの事例を持つのです。 主が三度目にご自身の死と復活を十二人に打ち明けられてからも、彼らは依然と して盲目でした。ですから、彼らはエリコの近くのその盲人によって代表されま した。主がその盲人をいやされたことは、主が十二人の弟子たちの盲目を取り扱 われたことを象徴します。 第18章のこの個所におけるルカの霊の負担は、主に従うすべての者たち、彼の十 二人の選ばれた者たちでさえ盲目であったことを、わたしたちの示すことでした。 パリサイ人たちだけが、神の王国の霊的実際を見ることができない人たちであっ たのではありません。十二人はこの能力に最も欠けている者たちであったと言っ てもよいでしょう。彼らのうちの三人、すなわちペテロ、ヤコブ、ヨハネは、変 ぼうの山で主と共にいました。彼らはその山の上で非常に多くのものを見ました が、実は霊的な意味では彼らは全く何も見ていませんでした。なぜなら、彼らは 盲目であったからです。こういうわけで、エリコの近くのその人だけが盲人であっ たのではありません。主の周りにいるすべての者も盲目であったのです。 (明日に続く) ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・ルカの福音書(四)」(1988年版)メッセ ージ42から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。