祈りと御言葉のバランスをとる ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― エペソ5:18 ……霊の中で満たされ、(19節)詩と賛美と霊の歌とで語り合い、心 から主に向かって歌い、朗詠しなさい。(20節)そしてすべての時に、すべての事 に対して、わたしたちの主イエス・キリストの名の中で、神また父に感謝をささ げ、 コロサイ3:16 知恵を尽くして、キリストの言をあなたがたの内に豊かに住まわ せ、詩と賛美と霊の歌とをもって、互いに教え戒め合い、恵みの中で、心から神 に向かって歌いなさい。(17節)また、あなたがたは何をするにしても、言や行な いにおいて、すべての事を主イエスの御名の中で行ない、彼を通して父なる神に 感謝をささげなさい。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 上記の御言葉のいずれの部分も、いかにクリスチャンが神を賛美し感謝するかを 語っているのですが、彼らがそうする理由は異なっています。一方は、その霊で 満たされることに基づいており、他方は、主の言葉に満たされることに基づいて います。聖書のこれら二つの部分を比較することにより、御言葉を読むことと祈 ることは、両方とも人々がその霊の中で経験するものであるのを見ることができ ます。あなたは、御言葉をその霊から引き離すことは決してできません。なぜな ら、御言葉はその霊の具体化であり、またその霊は御言葉の中に蓄えられている からです。正常な状態のもとでは、あなたが聖書の言葉で満たされるとき、あな たはまたその霊でも満たされます。いったんその霊で満たされると、あなたは祈 らずにはおれません。祈りにはさまざまな形体があります。神に向かって感謝を ささげる、神をほめる、神に賛美を歌う、神の御前で泣いて呼び求める、神の御 前で断食して祈願する、などです。これらの祈りはすべて、人の内側のその霊の 動きに基づきます。あなたが御言葉に触れるとき、あなたは確かに内側にあるそ の霊の臨在を知ります。いったんあなたがその霊の臨在を認識すると、あなたは 祈らずにはおれません。そうでないと、あなたはその霊を消す者です。ですから、 わたしたちは常に読むことと祈りとを組み合わせなければなりません。 その反対に、もしあなたが祈っても聖書を読まず、主の言葉に触れもしないとし たら、あなたの祈りは必然的にあなた自身の観念、思考、見解、意見、傾向から 出てくるでしょう。あなた自身からではなくその霊から祈り出すためには、あな たは主の言葉を持たなければなりません。今やあなたは、なぜヨハネによる福音 書第15章7節で主イエスがまず、「あなたがたがわたしの中に住んでおり、わた しの言葉があなたがたの中に住んでいるなら」と言われ、それから「なんでも望 むものを求めなさい。そうすれば、それはあなたがたにかなえられる」と言って おられるかの理由を理解することができます。これらの言葉は、もし人が常に主 と交わり、また主の中で生きることを学ぶなら、主の言葉はその人の中に住むで あろうことを見せています。御言葉を正しく読む人は、主の中に住む人です。主 の外側にいる人は、確かに御言葉を霊的に読むことができません。彼のなし得る ことはせいぜい、知性を働かせて理解するだけです。彼は、御言葉に触れるため に彼の霊を使うことが決してできません。しかしながら、主の中に住んでいる者 は、自分の中に住んでいる主の言葉を容易に持つことができます。主の言葉がこ のように彼の中に住んでいるので、彼はその霊に触れないではいられません。な ぜなら、主の言葉は霊であるからです。そしていったん彼が主のその霊で満たさ れると、彼は祈らずにはおられません。主は、そのような人が求めることは何で もかなえられると約束しておられます。なぜなら、この時点では、彼が心の中で 願うことは何であれ、彼自身からではなく、主の言葉と主の霊、すなわち主ご自 身からであるからです。ですから、適切な祈りをするためには、あなたはまず御 言葉を適切に読まなければなりません。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「祈りの学課」(1984年版)の第一章から引用されています。 いずれも日本福音書房から出版されています。