人は神を入れる霊を持っている ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 創1:26 神はまた言われた、「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を 造り……。 2:7 主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。そこ で人は生きた者となった。(9節)また主なる神は、見て美しく、食べるに良いす べての木を土からはえさせ、更に園の中央に命の木と、善悪を知る木とをはえさ せられた。(口語訳) 1テサロニケ5:23 そして平和の神ご自身が、あなたがたを徹底的に聖別し、あ なたがたの霊と魂と体とを完全に守って、わたしたちの主イエス・キリストの来 臨の時に、責められるところのない者にしてくださいますように。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 創世記第1章と第2章は、神が人を創造された時、神は人について二つの準備をさ れました。第一の準備は、神が人をご自身のかたちに、またご自身の姿にしたが って人を創造されたことでした。人は神にしたがって創造されましたから、人は 多くの面で神に似ています。人のさまざまな面、例えば楽しみ、怒り、悲しみ、 喜び、好み、選択などは、それが感情であれ、意志であれ、性質であれ、ある程 度まで神を表現し、神の中にあるすべてのものの縮小形です。 もう一つの準備は、神が人の存在の深みに、人のために霊を創造されたことでし た。宇宙における数え切れないほど多種多様な生物の中で、ただ人だけが霊を持 っています。御使いたちは霊に属しています。しかし、それは別な問題です。全 被造物の中で、創造されたもののうちの一種類は、霊ではないのに、霊を持って います。これが人です。なぜ神は人の存在の深い所に、人のために霊を創造され たのでしょうか? わたしたちはみな知っていますが、それは、神が霊であられ るご自身を人に受け入れてもらいたいためでした。同じように、神は人のために 胃を創造されました。それは、神が人に食物を取り入れてもらいたいからです。 このことを考えてみてください。仮に、神が人のために胃を創造されなかったと します。わたしたちは、どのようにして食物を取り入れることができるでしょう か? わたしたちには胃がありますから、食物をわたしたちの中に受け入れるこ とができ、それを享受し、それを消化し、それをわたしたちの存在中に吸収し、 それをわたしたちの構成要素とすることができます。全く同じように、わたした ちは内側に霊を持っていますから、わたしたちは神をわたしたちの中に受け入れ、 彼を吸収し、彼をわたしたちの構成そのものとすることができるのです。 創世記の最初の二つの章において、神が人をご自身の器となるよう創造された時、 神はこれら二つの段階の準備をされました。第一段階は、人を神に似せて創造す ることでした。もう一つの段階は、人が神を受け入れることができるように、人 の内側に霊を入れたことでした。神がこれら二つの準備をされた後に、神は命の 木の形をとってご自身を人の前に置きました。それは人が神を受け入れ、神を命 として獲得するためでした。兄弟姉妹よ、神と人との間の接触がなされるのは、 人の霊においてです。いったん神と人との間にそのような接触があると、神は人 の中に入って、人の内容となり、そして人は神の器となって、外側で神を表現す るのです。こうして、神の永遠の意図は人において成就されるのです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「祈りの学課」(1984年版)の第一章から引用されています。 いずれも日本福音書房から出版されています。