祈りとは人が神を吸い込むことである(2) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ローマ8:27 心を探られる方は、その霊の思いが何であるかを知っておられます。 なぜなら、彼は神にしたがって、聖徒たちのためにとりなしてくださるからです。 (28節)また神を愛する者、すなわち、彼の目的にしたがって召されている者たち には、すべてが共に働いて益となることを、わたしたちは知っています。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第2編) 多くの時、わたしたちはそのような祈りの意味を知らないかもしれません。そし てある事柄について神に依然として祈ることでしょう。しかし、神はこれらの問 題のためのわたしたちの祈りを通して、やはりわたしたちをご自身へともたらさ れるのです。例えば、ある姉妹はその子供を深く愛する母親ですが、主をほんの 少ししか愛しません。しかしながら、ある日、彼女の子供が病気になります。医 者に何度も診てもらっても、その子供は依然として病気です。彼女はどうにもな らなくなって、主に信頼するほかなくなります。彼女が祈りに来るとき、ただ子 供のいやしを求めるだけです。彼女には主ご自身を求める気持ちは少しもありま せん。そのような祈りを通して彼女が実際に主に会い、主に触れ、主を享受する ことができると、だれが想像するでしょうか? そのような祈りにより、何年も 主によって得られることを拒んできたこの人が、自然に神の中に入り、同時に神 によって得られました。しかし、依然として彼女は何が起こったのか理解できま せん。三日たって子供はいやされました。そして彼女は交わりの集会にやってき て、神は何と信実であるか、神はどのように祈りに答えられたか、そしてどのよ うに子供がいやされたかを証しします。祈りの中で実際を獲得したのですが、彼 女は依然としてそれを認識していません。 残る年月において神が、真の祈りとは物事について祈ることではなく、物を求め ることでもなく、人々のためにとりなすことでもないことを、神の子供たち一人 一人にさらに明らかにしてくださると、わたしは信じます。真の祈りとは、神ご 自身を吸い込むこと、神を獲得すること、神によって獲得されることです。神の 外側において、人、出来事、物事のために求めるすべての祈りは、祈りの本質で はなく、単に祈りの外面の皮またはアクセサリーでしかありません。真の祈り、 祈りの本質は、あなたが実際的に神に触れ、神を吸い込み、神を享受し、神を獲 得し、神で満たされ、そしてあなたの存在を神に獲得させることです。もし神の 子供たちがこの点を見ることができるとしたら、彼らは祈りの真の意味について 一層優れた理解を持つことでしょう。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「祈りの学課(前篇)」(1984年版)第1章から引用されてい ます。いずれも日本福音書房から出版されています。