祈りは神と人との混ざり合いである(1) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ローマ8:26 さらに、同じように、その霊もわたしたちの弱さを担って、助けて くださいます。なぜなら、わたしたちはどのように祈ったらよいのかわからない のですが、その霊自ら言い難いうめきをもって、わたしたちのためにとりなして くださるからです。(27節)心を探られる方は、その霊の思いが何であるかを知っ ておられます。なぜなら、彼は神にしたがって、聖徒のためにとりなしてくださ るからです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第1編) ローマ人の手紙第8章26節から27節は、わたしたちはどのように祈ってよいかわ からないが、聖霊が神の計画にしたがってわたしたちの中でとりなしてくださる と告げています。事実上、わたしたちはどう祈るべきかを知りません。最初にわ たしがローマ人への手紙第8章のこれらの二つの節を読んだとき、わたしはその 意味を尋ねました。わたしが病気であった時、わたしは神にいやしを求めて祈ら なかったでしょうか? わたしは欠乏していた時、神に備えを送ってくださるよ うに求めて祈らなかったでしょうか? わたしたちは何と祈ったらよいのか知ら ないと、聖書はどうして言い得るのでしょうか? 次第に主は、わたしたちは神 が願っておられる種類の祈りについては何も知らないということを、わたしに示 されました。わたしたちは、人々が一般に祈りであると考えているけれども、標 準以下である祈りを知っています。わたしたちは、神の願いに触れ、その標準に 達する祈りを知らないのです。神に感謝します。わたしたちの弱さのこの問題に おいて、その霊自らわたしたちを助けるために加わり、そして言い難いうめきを もってわたしたちのためにとりなしてくださるのです。 兄弟たちよ、真の祈りとは、人を通して神の願いを表現する人の内側の聖霊です。 言い換えれば、真の祈りとは、両当事者を含んでいる祈りです。それは単に人だ けが神に祈るのではありません。実は、祈りの中で人と混ざり合い、人を着てお り、人と結合しているその霊です。外面的には、それは人が祈っているのです。 しかし、内面的には、それはその霊が祈っているのです。これは、両当事者が同 時に同じ祈りを言い表すことを意味します。これだけが聖書の中で語られている 祈りであることを、覚えておいてください。アンドリュー・マーレーはかつて言 いましたが、真の祈りとは、わたしたちに内住しておられるキリストが、御座に 座しておられるキリストに向かって祈られることです。キリストがキリストご自 身に祈られるということは、奇妙に聞こえます。しかし、わたしたちの経験では まさしくそうなのです。 (明日に続く) ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「祈りの学課(前篇)」(1984年版)第1章から引用されてい ます。いずれも日本福音書房から出版されています。