あなたのみこころが行なわれますように ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― マタイ6:10 あなたの王国が来ますように。あなたのみこころが天で行なわれて いるように、地でも行なわれますように。 1テモテ2:1 そこで、まず、わたしは勧めます。すべての人のために、願いと、 祈りと、とりなしと、感謝とをささげなさい。(4節)神はすべての人が救われて、 真理の全き知識へと至ることを願っておられます。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― ここの祈りは、「あなたのみこころが天で行なわれているように、地でも行なわ れますように」です。この節が示しているように、神のみこころは天では行なわ れています。しかし、地ではまだ完全には行なわれていません。神は神です。だ れが神のみこころの行なわれるのを妨げることができるでしょうか? だれも神 を妨げることはできません。それでは、何のために祈る必要があるのでしょうか?  兄弟姉妹よ、あなたは、祈りというこのようなものが聖書の中にあるのは、す ばらしいことであるのを認識しなければなりません。神は確かに、わたしたちが 必要とするものをすでに知っておられます。それでは、なぜわたしたちは祈らな ければならないのでしょうか? 人の見方によれば、神は知らないことがないの ですから、人が祈る必要はなさそうなものです。しかし、聖書によれば、神は人 が祈るのを求めておられるのです。祈りの意味とは、神は行ないたいことがあっ ても、ご自分でそれを行なおうとはされず、地上の人がそのために祈るのを待っ て、はじめて神がそれを行なうということです。神にはご自分のみこころがあり、 ご自分の考えがあります。しかし神は、人が祈るのを待っておられます。神は自 分自身では行ないません。彼は、人がそのために祈るのを待ってはじめて行なわ れるのです。 主イエスは生まれることになっていましたが、そのためにはシメオンとアンナが 祈る必要がありました(ルカ2:25、36-38)。聖霊は下ることになっていましたが、 百二十名の人たちが十日間祈ってはじめて聖霊は下ることができました(使徒 1:15、2:1-2)。これが祈りの原則です。わたしたちは祈りによって、神が行なお うとされないことを、神にしていただくよう求めることができるのでしょうか?  できません。しかし、神が行なおうとされることについても、わたしたちが祈 るのを待ってはじめて神は行なわれるのです。アハブ王の時、エホバの言葉がは っきりとエリヤに臨みました、「わたしはこの地に雨を降らせよう」。しかし、 エリヤが祈るのを待ってはじめて神は大雨を降らせたのです(列王上18:1、41-45)。 祈りとは何でしょうか? 第一に、まず神にはみこころがあります。第二に、わ たしたちはこのみこころに触れて祈ります。第三に、わたしたちが祈る時、神は わたしたちの祈りを聞かれるのです。 多くの人は間違った観念を持っており、人が神に祈る理由は、人が何かを開始し て、神にそれを行なっていただくためであるとします。しかし、聖書がわたした ちに見せているのは、神にまずみこころがあり、何かを行なおうとし、次にわた したちにそのみこころを知らせ、それからわたしたちが、その知らされたみここ ろをわたしたちの口を通して語り出すということです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第22巻「教会の祈りの務め」(1996年版)メッセージ第2 編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。