その霊の漸進的な発展(1) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 創世記1:2 地は形がなく、何もなかった。やみが大いなる水の上にあり、神の 霊が水の上を覆っていた。(原文) ヨハネ7:39 イエスはこれを、彼の中へと信じる者たちが受けようとしているそ の霊について言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、 その霊はまだなかったからである。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全3編のうちの第1編) 神、キリスト、その霊に関する聖書の中の啓示は漸進的です。この啓示は、創世 記第1章に始まって漸進的に発展し、ついに啓示録においてその完成に達します。 聖書の中での霊についての最初の記述は、創世記第1章2節に見いだされます。そ こでは神の霊が水のおもてを覆っていたとあります(ヘブル語)。神の創造に関し て、霊は特に神の霊と呼ばれています。 神と人との関係は、もちろん神と創造との関係よりさらに親密です。ですから、 神と人との関係を語る際、霊の称号はエホバの霊です(士3:10、サムエル上10:6)。 キリストの受胎と誕生の時に、聖霊という用語が使われました(ルカ1:35、マタ イ1:20)。霊のこの称号は、聖、聖別、神への分離と関係があります。聖霊を通 して、人の中にあるものは聖別され、聖とされます。ギリシャ語では、使徒行伝 第16章7節はイエスの霊について語っています。主の地上での生涯は苦難の生涯 でした。ですから「イエスの霊」という称号は、特に主の苦難に関係ある霊を言 っています。ローマ人への手紙第8章9節から11節でパウロは、キリストの霊につ いて語ります。これらの節の文脈によれば、キリストの霊はおもにキリストの復 活に関係があります。わたしたちはピリピ人への手紙第1章19節で、パウロがイ エス・キリストの霊について語っているのを見てきました。……イエス・キリス トの霊は、苦難と復活との両方に関係があります。パウロはその入獄においてそ の霊を、苦難の中のイエスの霊として、また復活におけるキリストの霊として享 受していました。パウロは苦難を受けつつ、キリストの復活を享受していました。 彼は苦難と復活の両方を経験していましたから、彼にとってのその霊はイエス・ キリストの霊でした。 ヨハネによる福音書第7章39節は「その霊」について語ります。そして、主イエス が十字架につけられ、復活される前、「その霊」はまだなかったと告げています。 神の霊は初めからありました(創1:1-2)。しかし、イエス・キリストの霊として の「その霊」は、ヨハネによる福音書第7章39節の時には「まだなかった」ので した。なぜなら、主はまだ栄光を受けておられなかったからです。彼の復活の後、 神の霊は、受肉し十字架につけられ復活されたイエス・キリストのその霊となり ました。主の死と復活の前には、神の霊はエホバの霊あるいは聖霊であり、「そ の霊」はまだありませんでした。「その霊」というこの用語は、パウロにより彼 の諸書簡の中で、またヨハネにより啓示録の中でしばしば用いられています。神 の霊あるいは聖霊とは言わずに、パウロはしばしば「その霊」と言いました。こ れは、三一の神のすべてを含む命を与える霊です。(明日に続く) ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・ピリピ人への手紙(一)」(1980年版)メ ッセージ5から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。