キリストを大きく表現する(2) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ピリピ1:19 というのは、あなたがたの祈り求めることと、イエス・キリストの 霊の満ちあふれる供給を通して、このことがわたしにとって救いとなることを知 っているからです。(20節)そこで、わたしの切なる期待と希望は、わたしがどん な事にも恥じることなく、かえっていつものように、あらゆる事で大胆になって、 生きるにも死ぬにも、今なおキリストが、わたしの体において大きく表現される ことです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全3編のうちの第2編) わたしたちはキリストについて語る自由をほとんど、あるいは全く持たない状況 においてでさえ、キリストを大きく表現することができます。教師たちは学生に 福音を宣べ伝えることができないかもしれません。しかし、彼らは教室内でキリ ストを大きく表現することができます。彼らは自分の学生たちの目にキリストを 偉大に見せることができます。パウロは獄中にあったとき、キリストを多く宣べ 伝える自由はなかったと、わたしは思います。それどころか、彼は非常な制限を 受け、厳しい統制下にありました。しかしながら、そのような環境にあってでさ え、キリストはパウロの体において大きく表現されました。パウロはあらゆる大 胆さをもって、いつもキリストを大きく表現することを尋ね求めました。 パウロは、生きるにも死ぬにも、キリストが自分において大きく表現されると言 っています。どんな事が自分に起ころうとも、すなわち生き続ける機会があろう と、殉教であろうとも、パウロはキリストを大きく表現することを期待しました。 パウロは自分の生活においてキリストを大きく表現しました。これは、生きるこ とを通してキリストを大きく表現することです。彼がいよいよ殉教を覚悟してい たとき、彼はやはりキリストを大きく表現しました。これは、死ぬことを通して キリストを大きく表現することです。ですから、生きるにも死ぬにも、投獄され 鎖につながれたパウロの体にあって、キリストは大きく表現されました。明らか に、これは単なる教理ではありません。それはキリストの真の経験です。 19節でパウロは、イエス・キリストのその霊の満ちあふれる供給を述べています。 もしわたしたちがその霊の満ちあふれる供給にわたしたちの中で働いていただく なら、わたしたちの日常生活は変わるでしょう。わたしたちはいつも、またあら ゆる大胆さをもって、キリストを大きく表現する負担を持つでしょう。わたした ちがキリストを大きく表現することを通して、他の人たちはキリストの偉大さと 無限さを見るでしょう。キリストをそのように大きく表現することは、確かに彼 を生きることです。(明日に続く) ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・ピリピ人への手紙(一)」(1981年版)メ ッセージ6から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。 *担当者が風邪でお休みのため、火曜日・水曜日の配信が配信ができませんでし た。ここにお詫び申し上げます。本日、火曜日・水曜日・木曜日の分を併せて配 信させていただきます。