パウロの働きは彼の生活である ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ピリピ1:22 しかし、もし肉体において生き続け、わたしにとってこのことがわ たしの働きの実となるとしたら、わたしはどちらを選ぶべきかわかりません。 (23節)実はわたしは、その二つの間で板ばさみになっているのです。わたしの願 いは、この世を去ってキリストと共にいることです。というのは、そのほうが、 はるかにまさっているからです。(24節)しかし、肉体にとどまっていることは、 あなたがたのためにさらに必要です。(25節)このことを確信しているので、わた しが知っているのは、その信仰に対するあなたがたの進歩と喜びのために、わた しがここに残り、あなたがたすべてと共に居続けることであり……。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― パウロが22節で「実」という言葉を使ったのは、彼の働きが実際は生活であった ことを示しています。パウロはピリピ人への手紙を書いたとき、獄中で生活して おり、働いてはいませんでした。これは、彼の生活が働きであったことを示して います。そのような生ける働きから、実は生じるのです。この働きの実は、生か し出され、大きく表現され、人々に供給されたキリストでした。パウロの働きの 実は、このように人々にキリストを注入することでした。こういうわけで、22節 の働きの実は、獄中でのパウロの生活から出てきたもの、パウロの生活の結果で す。パウロの生ける働きは、人々にキリストを供給すること、また彼が大きく表 現したキリストを人々に注入することでした。パウロ自身にとっては、死ぬこと は益でした。しかし、生きることは、そのような生活と実りある働きを遂行する ことでした。彼には、そのどちらかを選ぶのは難しいことでした。こういうわけ で彼は、「わたしはどちらを選ぶべきかわかりません」と言ったのです。 23節は言います、「実はわたしは、その二つの間で板ばさみになっているのです。 わたしの願いは、この世を去ってキリストと共にいることです。というのは、そ のほうが、はるかにまさっているからです」。パウロがこのように書いたとき、 彼は拘束され、虐待を受けていました。そのような境遇の下では、彼がキリスト と共にいることを願ったのも当然であると、わたしたちは思うかもしれません。 パウロと同じ状況にいるどんな信者も、同じ願いを持つはずです。わたしたちは、 キリストと共にいるというのは、場所の問題ではなく、程度の問題であることを、 すでに示しました。疑いもなく、パウロは獄中でキリストと共にいました。しか し、パウロはある程度はキリストと共にいましたが、もっと深い程度にまでキリ ストと共にいることを願ったのです。パウロは、肉体の死の結果として、地上で の生活よりもさらに深い程度にまでキリストと共にいることになることを、知っ ていました。こういうわけで、彼はこの世を去ってキリストと共にいることを願 い、そのほうがはるかにまさっていると思ったのでした。 24節でパウロはこう続けます、「しかし、肉体にとどまっていることは、あなた がたのためにさらに必要です」。「あなたがたのために」という言葉は、教会の ためにという意味です。使徒が考慮したことは、利己的ではなく、聖徒たちのた めでした。彼の心は主と教会で占有されていました。パウロは、教会がキリスト の供給を一層必要としていることを知っていました。彼らのために、パウロはと どまって、キリストを彼らに供給しようとしました。パウロはキリストに満ちあ ふれた人でした。彼は語るとき、キリストを語りました。彼は生きるとき、キリ ストと共に生きました。彼は働くとき、キリストと共に働き、キリストを諸教会 に供給しました。教会のために、彼は喜んで肉体にとどまりました。それは、聖 徒たちにキリストを供給するためでした。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・ピリピ人への手紙(一)」(1981年版)メ ッセージ7から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。