奮闘して立つ ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ピリピ1:27 ただ、キリストの福音にふさわしく振る舞いなさい。そうすれば、 わたしが行ってあなたがたを見るにしても、離れているにしても、あなたがたは、 一つ魂をもって、福音の信仰と共に奮闘しながら、一つ霊の中でしっかりと立ち。 (原文) ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 実は、27節の文法上の構造によれば、一つ霊の中でしっかりと立つことと、一つ 魂で奮闘することとは、二つの別な事柄ではありません。パウロはピリピ人たち に、一つ霊の中でしっかりと立つように命じ、それから一つ魂で奮闘するように と命じるのではありません。そうではなく、パウロは彼らに次のように命じてい ます、「一つ魂をもって、福音の信仰と共に奮闘しながら、一つ霊の中でしっか りと立ち」。パウロの書き方は、わたしたちがしっかりと立つためには、奮闘す る必要があることを示しています。奮闘することは、実は立つことの一部分です。 わたしたちは、一つ魂で奮闘することによって、一つ霊の中でしっかりと立つの です。 一つの簡単な例証を使ってみましょう。もし父親が自分の息子に「フォークを正 しく使って、急いで食べなさい」と言うとします。これは、「急いで食べ、フォ ークを正しく使いなさい」と言うのとは違います。最初の命令では、フォークを 正しく使うことは、急いで食べるための方法です。第二の命令では、急いで食べ ることとフォークを正しく使うこととは、二つの別個の問題です。そこの背景の ゆえに、パウロはピリピ人たちに、「しっかりと立ち、奮闘しなさい」と命じた のではなく、「一つ魂で奮闘しながら、しっかりと立ちなさい」と命じたのです。 そのようにしっかりと立つことは、特にパウロが不在の間に必要なことでした。 信者たちを確立することのできた人であるパウロは、彼らから遠く離れていまし た。しかし、神のエコノミーに反して教えていたユダヤ教の教師たちは、間近に いました。こういうわけで、パウロは第1章の終わりにあたって、信者たちにしっ かりと立つようにと命じたのです。しかしながら、もし彼らがしっかりと立つの であれば、彼らは一つ魂で奮闘しなければならなかったのです。奮闘することな しには、彼らは立つことができませんでした。 もしわたしたちが今日、立つだけで、奮闘しないなら、最終的にわたしたちは反 対によって揺さぶられ、またはそれによって動かされるでしょう。他の人たちに しっかりと立つよう励ますだけでは、十分ではありません。わたしは繰り返して 言いますが、しっかりと立つためには、わたしたちは奮闘し、戦わなければなり ません。奮闘することが、立つための方法です。実は、奮闘することは立つこと です。別な言い方をするなら、防御するためには、わたしたちは攻勢に出る必要 があります。もしわたしたちがいかに攻勢に出るべきかを知らないなら、わたし たちは十分な防御をすることができないでしょう。もし自分自身を防御したかっ たなら、わたしたちはサタンに抵抗して攻勢に出なければなりません。ここの要 点は、防御は攻勢を必要とすることです。こういうわけで、第1章27節でパウロ は、しっかりと立つことと奮闘することとを分離した問題としていないのです。 彼は、これら二つの問題は一つであることを示しています。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・ピリピ人への手紙(一)」(1981年版)メ ッセージ8から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。