同じ事を思い、同じ愛を持つ ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ピリピ2:2 どうかあなたがたは同じ事を思い、同じ愛を持ち、魂において結合 され、一つの事を思って、わたしの喜びが満ちるようにしてください。 3:8 しかしさらに、わたしはまた、わたしの主キリスト・イエスを知る知識の 卓越性のゆえに、すべての事を損失であると勘定します。その方のゆえに、わた しはすべての事で損失を被りましたが、それらをちりあくたと勘定します。それ は、わたしがキリストを得るためであり……。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― ピリピ人たちがパウロの喜びを満たすことができた方法は、同じ事を、一つの事 をさえ考えることでした(2:2)。本書全体の文脈によれば、一つの事とはキリスト の主観的知識とキリストの経験を指しているに違いありません(1:20-21.2:5. 3:7-9.4:13)。キリスト、またキリストだけが、わたしたちの全存在の中心性と 普遍性であるべきです。わたしたちの思いは、キリストを知る知識の卓越性とキ リストの経験に焦点付けられるべきです。その他のどんな事も、わたしたちに異 なる事を考えさせるので、わたしたちの間に異見の衝突を生じさせます。 獄中のパウロを悩ませたものは、ピリピ人の間の異見の衝突でした。ピリピの聖 徒たちは善良でした。その町にある教会はりっぱに確立されていました。しかし ながら、彼らの間には異見の衝突がありました。彼らは霊の中では一つでしたが、 一つ魂をもって奮闘していませんでした。彼らはみな主を愛していましたが、同 じ事を思っていませんでした。これがパウロの心に重荷を与えたのです。心の重 荷の中から、彼はピリピ人たちに、魂において結合されることによって、また同 じ事を思うことによって、わたしの喜びを満たしてもらいたいと訴えたのです。 同じ事を思うことは、同じ愛を持つことに関係があります。「同じ愛を持つ」こ とについての2節のパウロの言葉は、ピリピの信者たちが異見の衝突のゆえに、異 なる水準の愛を持っていたことを示します。彼らは、すべての聖徒たちに対する 同じ愛を持って一つを守ることをしていませんでした。今日わたしたちは教会生 活の中で、すべての聖徒たちに対して同じ愛を持っていないことがあり得るので す。それどころか、わたしたちの愛は異なった水準にあるかもしれません。わた したちはある兄弟を、別な兄弟よりもはるかに多く愛するかもしれません。わた したちは一人の特定の兄弟をほんの少し愛するだけなので、彼にはあまり仕える 気にならないかもしれません。しかし、他の兄弟を大いに愛するので、その兄弟 をわたしたちの愛でだめにしてしまうほどまでに彼に仕えるかもしれません。教 会生活では、さまざまな聖徒たちに対してさまざまな水準の愛を持つことがあり 得るのです。もしこれがわたしたちの状況であるなら、わたしたちの愛は一つ魂 の愛ではありません。わたしたちはある兄弟を愛する時、ある種類の魂を持ちま す。しかし、別の兄弟を愛する時は、異なる種類の魂を持ちます。結果として、 実際的な一ではなく、異見の衝突があるでしょう。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・ピリピ人への手紙(一)」(1981年版)メ ッセージ9から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。