キリストのゆえにすべての事を損失であると勘定する ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ピリピ3:5 わたしは八日目に割礼を受け、イスラエル民族の者、ベニヤミン族 の者、ヘブル人の中のヘブル人、律法についてはパリサイ人、(6節)熱心につい ては教会を迫害し、律法にある義については、責められるところのない者です。 (7節)しかし、わたしにとって益であった事柄を、わたしはキリストのゆえに、 損失と勘定するようになりました。(8節)しかしさらに、わたしはまた、わたし の主キリスト・イエスを知る知識の卓越性のゆえに、すべての事を損失であると 勘定します。その方のゆえに、わたしはすべての事で損失を被りましたが、それ らをちりあくたと勘定します。それは、わたしがキリストを得るためであり……。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第1編) 何年も前、わたしたちの多くは、8節の事柄は、この世的で物質的な事柄を言っ ていると教えられました。もちろん、この世的で物質的な事柄が人々を占有し、 キリストを経験するのを妨げることは、事実です。しかしながら、5節と6節によ れば、パウロの観念はおもに物質的な事柄と関係があるのではありません。パウ ロは、キリストを経験することを真に妨げるものはおもに宗教、哲学、文化の事 柄であることを認識していました。あなたは出て行って福音を宣べ伝える時、宗 教、哲学、文化が最も強く福音に抵抗する要塞であることを発見するでしょう。 パウロは回心する前、物質的な事柄を愛した人ではありませんでした。その反対 に、彼はユダヤの宗教、哲学、文化に完全に打ち込んでいた人でした。彼の全存 在は、ユダヤ教とそれに含まれるあらゆるもののためでした。一見すると、ユダ ヤ人は自分たちの宗教を顧みているようです。実際は、彼らは宗教よりも自分た ちの文化や哲学をはるかに多く顧みています。もちろん、あらゆる人種、文化、 国籍の人々も同じです。例えば、回教徒は自分たちの独自の思考、論理、哲学、 文化の様式で完全に占有されています。 5節と6節でパウロが取り扱った項目を復習してみましょう。彼は、八日目に割礼 されたこと、イスラエル民族の者であったこと、ベニヤミン族の者であったこと、 ヘブル人の中のヘブル人であったこと、律法についてはパリサイ人であったこと、 熱心については教会を迫害したこと、律法にある義については責められるところ のない者であったことを言っています。これらの項目は、宗教、哲学、文化と関 係があります。これは、パウロがこれらの節を書いていた時、物質的な事柄を意 識していたのではなく、むしろ宗教、哲学、文化の事柄を意識していたことを、 強く示しています。ピリピ人への手紙が書かれた当時、ローマ帝国のほとんどの 人は、宗教、哲学、政治のためでした。事実、西洋文化の三つの主要な要素は、 当時も今と同じように、ユダヤの宗教、ギリシャの哲学、ローマの政治でした。 (明日に続く) ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・ピリピ人への手紙(一)」(2002年 版)メッセージ第18編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版さ れています。