キリストを知る知識の卓越性(2) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ピリピ3:8 しかしさらに、わたしはまた、わたしの主キリスト・イエスを知る 知識の卓越性のゆえに、すべての事を損失であると勘定します。その方のゆえ に、わたしはすべての事で損失を被りましたが、それらをちりあくたと勘定しま す。それは、わたしがキリストを得るためであり……。 ガラテヤ1:15 ところが……神が、(16節)御子を喜んでわたしの中に啓示し、異 邦人の間に、御子を福音として宣べ伝えるようにされた時……。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第2編) キリストを知る知識の卓越性は、彼の人としての卓越性から来ます。ユダヤ人は、 モーセを通して与えられた神の律法を、人の歴史における最もすぐれたものと考 えています。ですから、彼らは律法に熱心です。パウロはかつてそれに熱心でし た。しかし、神がキリストをパウロに啓示された時(ガラテヤ1:15-16)、パウロ は、律法の卓越性にはるかにまさるキリストの卓越性、超越性、無上の尊さ、ず ば抜けた価値を見ました。キリストについてのパウロの認識は、キリストを知る 知識の卓越性という結果になりました。このゆえに彼は、律法や、律法にしたが って立てられた宗教だけでなく、すべての事柄を損失と勘定しました。 ここでパウロは、直接キリストの卓越性を語っているのではなく、キリストを知 ることの卓越性を言っています。キリストがご自身にあって卓越しておられるこ とには、何の疑いもあり得ません。しかし、もしわたしたちがキリストを知る知 識を持っていなければ、どのようにして彼の卓越性を知るのでしょうか? もし わたしたちがキリストを知る知識の卓越性に欠けるなら、彼の卓越性はわたした ちにとって何の意味もありません。 パウロはダマスコへの途上での経験の前、キリストについて何の知識も持ってい ませんでした。彼は律法を尊び、律法を最も卓越したものと考えていました。確 かに、パウロは律法についての卓越した知識は誇っていました。キリストは律法 より無限に卓越していますが、パウロはキリストを知る知識を持っていませんで した。しかし、彼が回心したとき、この卓越した方が彼に啓示されました。この キリストについての啓示によって、パウロはキリストを知る知識を持ち始めまし た。確かに、卓越性はキリストという方の中にあります。しかし、わたしたちの 経験にとって、この卓越性についての認識は、わたしたちの知識にかかっていま す。もしわたしたちが知識に欠けるなら、この方が卓越していることを認識する すべはありません。わたしたちは彼の卓越性を知るに至ってはじめて、キリスト を知る知識の卓越性を得ます。キリストを知る知識の卓越性は何と尊いことでし ょう! ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・ピリピ人への手紙(一)」(2002年 版)メッセージ第19編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版さ れています。