ぶどうの木の枝であることは何という安息か ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ヨハネ15:5 わたしはぶどうの木であり、あなたがたはその枝である。人がわた しの中に住んでおり、わたしもその人の中に住んでいるなら、その人は多くの実 を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからである。 ガラテヤ5:22 しかし、その霊の実は、愛、喜び、平和、辛抱強さ、親切、善良、 信実……。   ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 神の御言葉はわたしたちに、主がぶどうの木であり、わたしたちがその枝である ことを見せています。聖書は、主がぶどうの木になり、わたしたちがその枝にな るとは言いません。わたしたちは将来、わたしたちの霊的状態が発展した時に主 の枝となり、また主がわたしたちのぶどうの木になるのではありません。主が実 を結ばれるように、わたしたちも実を結ぶべきです。主が美徳で満ちているよう に、わたしたちも美徳で満ちているべきです。主は樹液、命、力のすべてをわた したちに与えて、実を結ばせます。主はぶどうの木であり、わたしたちはすでに 彼の枝です。主は「今」、彼の命、聖、完全、彼のすべてを、わたしたちの内に 「供給して」おられます。 兄弟たちよ、このことを信じますか? 主が今わたしたちの木であり、わたした ちが今、主の枝であることを、わたしたちは信じているでしょうか? わたした ちが主を救い主として信じた時、わたしたちは完全に彼に結合されました。あな たは主に結合するために何もしようとしなくてよいのです。なぜなら、神はすで にあなたを主と一つの木にされたからです。主があなたを取り扱うのは、木が枝 を取り扱うのと同じであることを、あなたは信じますか? あなたが主のために 実を結ぶのではありません。そうではなく、主があなたを通して実を結ばれるの です。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第24巻「勝利を得る命」(1999年版)第5編から引用され ています。いずれも日本福音書房から出版されています。