真実なくびきの友となる ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ピリピ4:3 そうです。真実なくびきの友よ、わたしはあなたにもお願いします。 彼女たちを助けてあげてください。彼女たちは、命の書に名があるクレメンスや その他のわたしの同労者と共に、福音の中でわたしと一緒に戦ったのです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 第4章3節でパウロは、くびきの友という用語を使っています。古代の農夫は、一 つのすきを引かせるのに二頭の雄牛を使いました。くびきの友という用語は、共 通の負担を担う別の人と一緒にくびきにつながれることを言います。ピリピ人へ の手紙を書く際、パウロは真実なくびきの友を、すなわち彼と同じくびきを負っ て、彼と同じ負担を担おうとする人を求めていました。もしキリストを極みまで 追い求めていないなら、わたしたちはまだくびきをかけられていないのです。反 対に、わたしたちは依然として自由に考えています。もし真にくびきをかけられ ているなら、わたしたちはパウロと同じ事を考えるでしょう。パウロと一緒にく びきをかけられていなかった人たちは、ユウオデヤやスントケの事で彼を助ける ことができなかったでしょう。パウロは、この姉妹たちが同じ事を考えるように 助ける負担がありました。つまり、二人がキリストを獲得し、またキリストを経 験するのを追い求めることを助けるということです。しかし、パウロはピリピか ら遠く離れたローマの獄中にいましたから、ピリピで彼と一緒にくびきにかけら れていて、この負担を負ってくれる人が必要でした。パウロが期待したのは、ピ リピにいる聖徒たちの間で、キリストを追い求めることで彼と同じである人が少 なくても一人いることでした。パウロはくびきをかけられていましたから、彼の 思考や観念には何の自由もありませんでした。彼の思いは、一つの事を思うよう くびきをかけられていたのです。 どんな代価を払っても、どんな手段によっても、パウロはキリストを極みまで追 い求めたかったのです。これが彼の思いでした。ですから彼の考え方は、キリス トによって絶対的にくびきをかけられていました。キリストを離れて、彼には何 を考える自由もありませんでした。彼の思いはキリストによって、キリストの中 で、キリストをもって完全にくびきをかけられていました。彼はピリピ人に手紙 を書いていた時、彼と一緒に働いて、意見を異にしている二人の姉妹たちに同じ 事を考えさせるよう助けることのできる聖徒を、少なくても一人捜していました。 これが、この書簡を結ぶとても実際的な言葉でした。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・コロサイ人への手紙(三)」(1981年版) メッセージ26から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されていま す。