神の平安によって護衛される ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ピリピ4:7 そうすれば、人知をはるかに超えた神の平安が、あなたがたの心と 思考を、キリスト・イエスの中で護衛してくださいます。 ヨハネ14:27 わたしは平安をあなたがたに残す。わたしの平安をあなたがたに 与える。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるようなものではない。あ なたがたは心を騒がせてはならない。恐れてはならない。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 主との有機的結合を実行することの結果は、神の平安がわたしたちの心と思考を キリスト・イエスの中で護衛してくださることです(7節)。神の平安とは、実は、 祈りによってわたしたちと神との交わりを通してわたしたちの中へと注入された 平安としての神です(9節)。この平安は、悩みの均衡を取るおもり、そして心配 の解毒剤です(ヨハネ16:33)。 悪い知らせや困難な状況は、わたしたちに思い煩いや心配を引き起こすかもしれ ません。わたしたちは、祈り、神との交流を実行し、有機的結合(主との生ける 一)を享受する時、この心配に対する解毒剤を見いだします。その時、自動的に、 無意識にさえ、神の平安がわたしたちの内なる存在へと注入されます。この注入 された平安は、悩みの均衡を取るおもりとなり、心配への解毒剤となります。神 の平安がわたしたちの中へ注入される時、祈りを通してわたしたちは心配に対す るこの解毒剤を受け取ることを、経験から知っています。わたしたちの悩みに対 して均衡を取るおもりとして神の平安を持つことは、その悩みが消え去ることを 意味するのではありません。その悩みは残ります。しかしわたしたちは、均衡を 取る一つのおもりを持つのです。さらにまた、心配の毒は依然としてわたしたち の内側にあります。しかしわたしたちは、一つの解毒剤を持っています。すなわ ち、祈りの中で神と交わることを通してわたしたちの存在の中へと注入された神 の平安を持っています。神をわたしたちの平安として享受するとき、わたしたち は内側で穏やかにされます。 ギリシャ語の「護衛する」はまた、「見張りに立つ」と訳してもよいでしょう。 神の平安はキリストの中で、わたしたちの心と思考の前をパトロールし、または 護衛に立つのです。これが意味することは、神の平安がキリスト・イエスの中で、 わたしたちの心と思考の前を行き来する護衛としてパトロールするということで す。わたしたちの内なる存在の中をそのようにパトロールする神の平安は、わた したちを穏やかに、また安らかに守るのです。たとえわたしたちには多くの悩み、 多くの心配があるとしても、何ものもわたしたちをかき乱すことはないでしょう。 わたしたちは経験から知っていますが、わたしたちの中へと注入された神の平安 は、わたしたちを穏やかに守ってくださるのです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・ピリピ人への手紙(三)」(1981年版)メ ッセージ27から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。