キリストの中でいっさいの事柄を行なうことができる(2) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ピリピ4:12 わたしは卑しくなる道を知り、また豊かになる道も知っています。 あらゆることにおいて、またいっさいの事柄において、わたしは飽くことにも飢 えることにも、豊かになることにも乏しくあることにも、秘訣を学びました。 (13節)わたしは、わたしを力づけてくださる方の中で、いっさいの事柄を行なう ことができるのです。(18節)しかし、わたしはすべてのものを豊かに受けて、あ り余っています。わたしはエパフロデトからあなたがたの物を受け取り、満たさ れています。それらはかぐわしい香りであり、神が喜んで受けてくださるいけに えです。 3:8 ……それはわたしがキリストを得るためであり、(9節)そしてキリストの中 に見いだされるためです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全3編のうちの第2編) この問題についてわたしが長々と述べる理由は、わたしたちの環境が常に神の主 権によって案配されることを指摘するためです。ある時は、彼の主権はわたした ちを低い状態に置き、またある時は全く良い状態に置きます。パウロは、ピリピ の教会から供給が来たとはいえ、自分の環境は依然として神の御手の中にあるこ とを認識していました。神の主権の案配によって、ピリピの教会は今まで供給を 送りませんでした。彼らは彼に贈り物を送る心は持っていたことでしょう。しか し、エパフロデトが来るまではその機会がなかったのです。機会が来た時、ピリ ピの信者たちはパウロに贈り物をしました。この供給は彼を、屈辱、欠乏、卑し められる状態から連れ出して、彼を頂点にもたらしました。しかし、彼はそれが いつまで続くか知りませんでした。それにもかかわらず彼は、卑しくなる道も豊 かになる道も知っており、豊かになることも乏しくあることも知っているという 確信がありました。彼はその秘訣を学びました。彼はキリストと教会の基本的原 則へと入門したのでした。 13節でわたしたちは、キリストの豊かさについての使徒の秘訣に関する基本的原 則を見いだします。「わたしは、わたしを力づけてくださる方の中で、いっさい の事柄を行なうことができるのです」。パウロはキリストにある人でした(2コ リント12:2)。また彼は、他の人たちによってキリストの中に見いだされること を願いました。今や彼はキリストの中で、自分を力づけてくださるキリストの中 で、いっさいの事柄を行なうことができると言明しました。これは、キリストに ついての彼の経験に関してすべてを含む、結論の言葉です。それは、ヨハネによ る福音書第15章5節のわたしたちと主との有機的関係に関する主の言葉、すなわ ち「わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからである」の逆 です。 (明日に続く) ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・ピリピ人への手紙(三)」(1981年版)メ ッセージ29から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。