キリストの中でいっさいの事柄を行なうことができる(2) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ピリピ4:12 わたしは卑しくなる道を知り、また豊かになる道も知っています。 あらゆる事において、またいっさいの事柄において、わたしは飽くことにも飢え ることにも、豊かになることにも乏しくあることにも、秘訣を学びました。(13 節)わたしは、わたしを力づけてくださる方の中で、いっさいの事柄を行なうこ とができるのです。 3:8 それは、わたしがキリストを得るためであり、(9節)そしてキリストの中に 見いだされるためです。…… ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全3編のうちの第3編) 第4章13節でパウロは、キリストを「わたしを力づけてくださる」方として言及 します。そのように力づけられることは、内側で力強くされることです。キリス トはわたしたちの中に住んでおられます(コロサイ1:27)。彼は、外側からではな く内側からわたしたちを力づけ、わたしたちを力強くされます。そのように内側 から力づけられることによって、パウロはキリストの中でいっさいの事柄を行な うことができました。第4章13節でわたしたちは、パウロが12節で言及している 秘訣を見いだします。ここでパウロは、自分はキリストの中に、自分を力づけて くださる方の中にいると言っています。第3章でパウロは、キリストを得るため に、そしてキリストの中に見いだされるために、キリストを追い求めると証しし ました。今や第4章13節でパウロは、自分はキリストの中にいると言います。自 分を力づけてくださる方としてのキリストの中で、パウロはいっさいの事柄を行 なうことができました。パウロは次のように言うことができました、「キリスト は、十分であることについてのわたしの秘訣です。わたしはキリストを持ってさ えいれば、またキリストの中にいさえすれば、キリストの中でいっさいの事柄を 行なうことができます」。 パウロの言葉を評価するために、わたしたちは第4章13節の「方の中で」という 句を、第3章9節の同じ句と結びつける必要があります。第3章9節では、パウロは キリストの中に見いだされることを切に望みました。第4章13節ではパウロは、 自分はキリストの中にいるので、自分を力づけてくださる方の中でいっさいの事 柄を行なうことができると言明しました。これが秘訣です。 わたしたちの環境は変化するでしょう。ある環境の中では、わたしたちは豊かで あるかもしれません。また、ある環境の中では、わたしたちは卑しめられるかも しれません。しかし、わたしたちが豊かであろうが卑しめられようが、主の享受 は同じです。おそらくパウロは、富んでいる時よりも貧しい時にキリストをさら に多く享受したことでしょう。しかしながら、これはわたしの理解です。おそら くパウロは次のように言うかもしれません、「いいえ、わたしは、卑しめられて いる時も豊かである時も、等しくキリストを享受します。わたしが富んでいても 貧しくあっても、高くても低くても、それはわたしにとって何の違いもありませ ん。キリストの享受は同じです」。享受は同じかもしれませんが、その味わいは やはり異なっているかもしれません。享受や味わいに違いがあったとしても、パ ウロが秘訣を学んだことは確かです。 (明日に続く) ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・ピリピ人への手紙(三)」(1981年版)メ ッセージ29から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。