クリスチャン生活は上がり下がりのある生活である ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ピリピ4:12 わたしは卑しくなる道を知り、また豊かになる道も知っています。 あらゆる事において、またいっさいの事柄において、わたしは飽くことにも飢え ることにも、豊かであることにも乏しくあることにも、秘訣を学びました。 エペソ4:9 (さてこの「彼が昇られた」というのは、彼が地のさらに低い所へ も下って行かれたことでなくて何でしょう? (10節)下って行かれた方は、すべ てのものを満たすために、すべての天よりもはるかに高く昇られた方でもありま す)。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― クリスチャン生活においてわたしたちは夜と昼と両方を経験します。創世記第1章 によれば、夜が昼の前にきます。パウロは卑しめられたとき、夜の中にいました。 彼は豊かになったとき、昼の中にいました。これは、卑しめられる夜の後に豊か な昼が来たことを意味します。しかしながらパウロは、この昼の後には結局、別 の夜が続くことを認識していました。わたしたちは神の宇宙の原則を変えること はできません。宇宙には夜と昼、昼と夜があります。 クリスチャン生活は一定の水準にとどまっていません。それには多くの上がり下 がりがあります。上がって下がり、下がって上がるのは、正常です。一定の水準に とどまって、上がったり下がったりを経験しないのは、正常ではありません。同 じように、昼を経験するけれども夜を経験しないのは、正常ではありません。わ たしは昼と同じように夜を、上がるのと同じように下がるのを持ちます。しかし ながら、わたしたちの勘定はバランスがとれているべきです。上がることは下が ることと等しくあり、借り方は貸し方と等しくあるべきです。わたしたちの経験 の中でそのようなバランスを持つとき、わたしたちは正常です。 主の主権ある案配により、わたしたちはキリストを経験するために上がったり下 がったりすることの両方を必要とします。わたしは、主がわたしに経過させてくだ さったすべての谷間のゆえに、主に感謝します。しかし、谷と共に山がまたあり ました。クリスチャン生活は一つの広い平原ではありません。それは、多くの山 と谷のある地です。わたしたちがキリストを経験するのは、山と谷によってです。 若い人たちよ、あなたの生涯は平坦であると夢想してはいけません。それどころ か、あなたは多くの谷と多くの山に直面するでしょう。あなたはあらゆる種類の 境遇にぶつかるでしょう。しかし、これらの境遇の中であなたは、キリストをあ なたの秘訣として適用し、彼を経験するでしょう。わたしたちがキリストを適用 することを学ぶのは決定的に重要です。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・ピリピ人への手紙(三)」(1981年版)メッ セージ29から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。