復活においてキリストは姿を変えられる ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 1コリント15:3-4 ……キリストが聖書にしたがって、わたしたちの罪のために 死なれたこと、そして彼が葬られたこと、そして彼が聖書にしたがって三日目に 復活させられたこと……。 Tコリント15:45 ……最後のアダムは、命を与える霊と成ったのです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 聖書が言っているように、キリストは三日間、死の中に入って行かれましたが、 その中にとどまってはおられませんでした。三日目に彼は、霊的にも肉体的にも 復活されました。ソクラテスは死に、カール・マルクスも死に、マホメットも、 仏陀も、孔子もみな死にました。しかし、イエス・キリストは生きておられます!  彼の墓は空であり、彼は今日も無数の人々の霊の中で生きておられます。 自然界において、わたしたちは毎日、復活の原則を見ることができます。一粒の 麦が地に落ちると、それは外見上は死んだように見えます。しかし実際は、死ぬ のは外側の殻だけです。やがて麦の芽が発芽してきます。そして麦の命は、さら にまさった栄光ある形で現れます。青虫が繭になる時、外見上は死んだようにな り、外側の活動をすべて停止しますが、その生物の中の命は引き続き活動し、や がて全き麗しさと栄光の中で蝶となって出てきます。同じように、復活において キリストは生かされただけでなく、別の姿に変えられました。彼は命を与える霊 に変えられたと、聖書は言っています。彼は地上におられた時、肉体の中にあり ましたが、復活の中で彼はその霊と成られました。肉体は復活の前の彼の姿であ り、その霊は復活の後の姿です。使徒パウロが告げているように、最初の姿であ る肉体は「卑しさ」と「弱さ」の中にあり、「土に属する」ものでしたが、第二 の姿である命を与える霊は「栄光」と「力」の中にあり、「天に属する」もので す。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 「キリストは霊であり命である」(1993年版)から引用されています。いずれも日 本福音書房から出版されています。