義を学ぶ(2) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― マタイ5:6 義に飢え渇いている人たちは幸いである。彼らは満ち足りるからで ある。 2テモテ2:22 ただし、あなたは若い時の欲から逃れなさい。そして純粋な心で 主を呼び求める人たちと共に、義と信仰と愛と平和とを追い求めなさい。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第2編) 義を学ぶためには、わたしたちはまず不義な事柄すべてを対処することを学ぶ必 要があります。わたしたちがクリスチャンになる以前は、他の人を利用したり、 他の人を欺いたり、無意識に他の人の物を自分の物とするような不義な事柄を多 くしたかもしれません。これらはすべて不義です。ある人たちは、もっとひどい 悪事を働いたかもしれません。ある人たちは、単に物質的な事柄にとどまらず、 他の人の権利に関しても不義でした。人にはみな自分の権利があります。もしあ なたが他の人の権利を尊重しないなら、あなたは不義です。ある両親はいつも互 いに議論しています。二人の間には一年中、平和がなく、子供たちは当然受ける べき平安を奪われています。その結果、両親は子供たちの権利を足の下に踏みに じっています。これは不義です。ある夫は夫としての義務を果たさず、ある妻は 妻としての義務を果たしていません。これらもまた不義です。わたしたちは今ク リスチャンとなったのですから、これらの不義な事柄を対処することを学ばなけ ればなりません。 わたしたちが自分の前にあるレースをいかによく走るかは、わたしたちが最初の 学課をいかによく学んだかにかかっています。神はわたしたちをこのように義な る方法で救われたのですから、わたしたちはもはや軽率に地上で生きることがで きないということを、神の贖いによってわたしたちは知ることができます。わた したちは義でなければなりません。少なくともわたしたちはこの一つの学課を学 ばなければなりません。いかなるものであれわたしたちがいったん何か不義な事 を認識したなら、わたしたちはそれを対処すべきです。なぜなら、すべての不義 は罪であるからです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第36巻「中心的なメッセージ」(1998年版)メッセージ第 3編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。