その霊の内なる導き ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ローマ8:6 肉に付けた思いは死ですが、霊に付けた思いは命と平安です。 (14節)なぜなら、神の霊に導かれている者はみな、神の子たちであるからです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 聖霊の導きは二つに分けることができます。一つは内側の促しです。例えば、使 徒行伝第8章29節では、「するとその霊はピリポに、『近づいて、あの馬車と一 緒になりなさい』と言われた」とあり、使徒行伝第10章19節から20節では、聖霊 がペテロに「さあ、立ち上がり、下りて行き、何も疑うことなく彼らと一緒に行 きなさい」と告げています。これらは内側の促しです。もう一つは内側の禁止で す。例えば、使徒行伝第16章6節から7節では、「また、彼らはアジアで御言を語 ることを、聖霊に禁じられたので、フルギヤとガラテヤの地方を通って行った。 彼らがムシヤに来た時、ビテニヤに入って行こうとしたが、イエスの霊が彼らを 許さなかった」とあります。これらはみな内側での禁止を指しています。 初信者の兄弟姉妹が神のみこころを知りたければ、内側の感覚を幾らか知らなけ ればなりません。神の霊は、人の最も内側の場所に住んでおられますから、聖霊 の感覚は浅薄なものではなく、外面的なものでもなく、最も深みから出てくるも のです。声のようでなくてやはり声のようでもあり、感覚のようでなくてやはり 感覚のようでもあるのです。神の霊はあなたの中にあって、神のみこころが何で あるのか、また何が神のみこころではないかを告げることができます。もしあな たが命のある人なら、この命に従順に歩みさえすれば、正しいと感じるでしょう。 しかし、この命に少しでも反対し、少しでも抵抗するなら、内側は苦しく感じ、 平安を失うでしょう。ですから、命に服することが、信者としての当然の生活で す。心の中に平安がなくなってしまう事柄をしてはなりません。いつでも不安を 感じたなら、聖霊があなたの内側で喜んでおらず、聖霊が内側で悲しんでいると いうことを知るべきです。もしわたしたちが主から出ていない事を行なうなら、 内側が必ず不安になり、そうすればするほど平安を失い、喜びがなくなるでしょ う。もし主の導きから出たことであれば、自然と平安があり、喜びがあるでしょ う。しかし、内側の感覚を過度に分析してはいけません。これは正しい、これは 間違っていると分析し続けるのでしたら、一日中それをしてもはっきりしないで しょう。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第49巻「初信者を成就するメッセージ(二)」(1999年版) メッセージ第27編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されて います。