神の祝福を受ける条件 ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ルカ1:53 彼は、飢えている者を良いもので満たし、富んでいるいる者をむなし く帰されました。 詩107:9 まことに主は渇いたたましいを満ち足らせ、飢えたたましいを良いもの で満たされた。(新改訳) ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― わたしたちは、人に対する神の祝福には条件があることを認識しなければなりま せん。神が人を祝福するためには、人は一つの条件を満たさなければなりません。 それは飢えていることです。もしわたしたちが飢えていなければ、わたしたちは 神から何か受けるのを期待することはできません。神の豊富と恵みは、ただ一種 類の人のために備えられているのです。それは飢えている人です。多くの人はい つも不満足であり、不幸です。しかしながら、不満足と不幸は、必ずしも飢えて いることと同じではありません。人は不満足で不幸であったとしても、さらに多 くのものを追い求めることを拒むかもしれません。それは、不満足であっても飢 えていないからです。飢えているとは何でしょうか? それは、神の御前で空っ ぽであり、内側が飽き足りていないと感じることです。空っぽで飽き足りていな いという感覚は、人に絶えず神を追い求めさせます。しかしながら、飢えていな ければ、その人は同じ場所に何日も座って、何もしないかもしれません。神は、 飢えている者だけを飽き足らせると約束されました。神は、不満足な者を飽き足 らせるとは約束しておられません。飽き足りている者、すなわち自分は富んでい ると考えている者は、空手で帰らされるでしょう。 バーバー姉妹(本書の著者の霊的な指導者)はよく人に、自分は幼い時から年老い た時まで、神の御前で永遠の飢えを持っていると言いました。彼女は、自分の心 の目が主を見ていない時は、飢えを感じなかったと言いました。しかし、彼女の 心の目が主を見つめている時、彼女は主の御前で絶えず飢えていました。彼女は いつも飢えていました。ですから、主はいつも彼女を飽き足らせました。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第41巻「特別集会、メッセージ、談話の記録(一)」 (1998年版)メッセージ第10編から引用されています。いずれも日本福音書房から 出版されています。