わたしたちの困難を食物として食べる ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 民数記14:7 イスラエル人の全会衆に向かって次のように言った。「私たちが巡 り歩いて探った地は、すばらしく良い地だった。(8節)もし、私たちが主の御心 にかなえば、私たちをあの地に導き入れ、それを私たちに下さるだろう。あの地 には、乳と蜜とが流れている。(9節)ただ、主にそむいてはならない。その地の 人々を恐れてはならない。彼らは私たちのえじきとなるからだ。彼らの守りは、 彼らから取り去られている。しかし主が私たちとともにおられるのだ。彼らを恐 れてはならない。」(新改訳) ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― カレブについてのもう一つのことは、とても意義深いです。彼はイスラエル人に、 すぐに上っていくことができると告げました。わたしたしが必ず勝つのは、わた したちが彼らを恐れないのは、彼らがわたしたちのえじきとなるからです。えじ きというのは、あなたが食べるものです。食べるものは、あなたが食べた後、気 力が増し、さらに力が増すものです。これらの人たちの背丈は大きいのですが、 カレブの目から見れば、神の民の食物でした。彼は神の約束を重んじただけでな く、またすべての困難を軽いものと見なしました。真に信仰のある人は、必ず一 面で主の約束を重んじ、もう一面ですべての困難を軽いものと見なします。しか し、これは人が高ぶってもよいということではありません。人はまず神の御前に へりくだり、その後、はじめて人は主の勝利の上に立つことができるようになる のです。 ですから、あなたが毎回、困難に出遭う時、毎回、途方に暮れることに出遭う時、 あなたは自分に「わたしは今回、飢えるのか、それとも食べるのか?」と問う必 要があります。あなたがその事の上で、キリストの力に頼って勝利を得、キリス トの勝利の命を現すのでしたら、あなたは新鮮な養いを得、活力を増し、再び食 したことになります。覚えていてください。人として食べないで成長できる人は いません。わたしたちの食べ物は、神の言葉であるだけでなく、神のみこころを 行なうことだけでなく、わたしたちの食べ物は、アナク人でもあるのです。アナ ク人とは、わたしたちの出遭う困難です。多くの人は、アナク人を食べることで はあまりにも少なすぎます。アナク人を多く食べれば食べるほど、あなたはます ます強くなるのです。カレブは一つの良い例です。彼はアナク人を食べたので、 八十五歳になってもまだとても強かったのです。彼の四十歳の時の力と同じよう に、八十五歳になった今も力があるのです。カレブの中で多くのアナク人が消化 吸収され、年を取らないカレブを造り出しました。 霊的な事の上では、みなこのようです。困難に出遭う度にその困難に打ち勝ち、 試みに出遭う度にその試みに打ち勝つ人たちがいます。彼らはとても強いのです。 なぜなら、彼らはアナク人を多く食べたからです。わたしたちは、わたしたちの 困難と試みを食べるべきです。サタンがわたしたちに与えるすべての困難と試み はみな、わたしたしの食物です。これは、神がわたしたちを成長させる方法です。 信仰のない人は、困難を見れば大変であると言います。しかし、信仰のある人は、 これはわたしの食物であると言って、主に感謝し、賛美します。わたしたちの前 に置かれた困難で、わたしたちの食べることのできないものはなく、その困難を 食べた後、わたしたちを成長させないものはありません。あなたが次から次へと 困難を受けるなら、あなたはますます豊かに養われるのです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第37巻「一般的なメッセージ(一)」(1998年版)メッセー ジ第2編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。