からだの中で他の人に供給する ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 1コリント12:22 それどころか、ほかより弱いと見える体の肢体こそ、むしろ 必要なのです。(23節)そしてわたしたちは、ほかより尊くないと思う体の肢体に、 さらに豊かな尊さを着せます。こうして、わたしたちの美しくない肢体は、さら に豊かな美しさを持つようになります。(24節)ところが、わたしたちの美しい肢 体には、その必要はありません。神は欠けている肢体にさらに豊かな尊さを与え て、体を調和させられました。(25節)それは体に分裂がなく、各肢体が互いに同 じ顧みを持つためです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― もしわたしたちが、からだの命は交わりであり、互いの供給であるのを見たなら、 わたしたちは命を使い尽くす人となるべきではなく、命を供給する人となるべき であることを、主の御前で認識すべきです。もしキリストのからだの中で、命を 供給できる肢体が多くなく、命の供給を得たい肢体が多ければ、からだの力は衰 えてしまうでしょう。ですからわたしたちは、特に他の人のために祈るべきです。 神はあなたの祈りを用いて、別の肢体に命を供給されます。こうして、彼らに必 要のある時、命は彼らの上に流れていくのです。 コリント人への第一の手紙第12章26節は言っています、「もし一つの肢体が苦し むなら、すべての肢体が共に苦しみます。もし一つの肢体が栄光を受けるなら、 すべての肢体が共に喜びます」。ここでは、「もし一つの肢体が苦しめば、ほか の肢体もみな共に苦しむべきであり、一つの肢体が栄光を受けるなら、ほかの肢 体もみな共に喜ぶべきである」とは言っていません。一つの肢体が苦しめば、他 の肢体もみな共に苦しみむのが事実です。一つの肢体が栄光を受ければ、他の肢 体もみな共に喜ぶのが事実です。そう言っているのです。 これは単に、苦しむか楽しむかの問題ではなく、命の問題です。ある肢体は、命 をからだに供給できます。ある肢体は、からだから命の供給を受けなければなり ません。わたしたちには、この両面があるべきです。わたしたちは、本当にから だからの命の供給を必要としますし、またわたしたちはからだに命を供給するべ きです。わたしたちは一面、交わりによってからだの供給を得、一面、肢体の地 位にあって他の人に供給するのです。わたしたちがからだと言う時、それは単な る教理や教えではありません。キリストのからだは絶対的な事実です。神の子供 たちがからだの各肢体として一体となっていることは、絶対的な事実なのです。 こういうわけで、わたしたちは心から喜んで他の人の助けを受け入れ、そして他 の兄弟姉妹を助けるように努めなければなりません。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第37巻「一般的なメッセージ(一)」(1998年版)メッセー ジ第5編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。