油塗りはわたしたちを聖別する ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― レビ8:12 また、そそぎの油をアロンの頭にそそぎ、油をそそいでアロンを聖別 した。(新改訳) ルカ4:18 『主の霊がわたしの上にある。彼が貧しい人たちに福音を宣べ伝える ように、わたしに油を塗られたからである。彼はわたしを遣わして、捕らわれ人 たちには解放を、盲人たちには視力が回復されることを告げ知らせ、圧迫されて いる人たちを解放して去らせ、(19節)主の受け入れる年、ヨベルの年を告げ知ら せるのである』。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― レビ記第8章は、アロンが油を注がれたことについて、そして第9章では彼がささ げ物をささげたことを述べています。ダビデは王になる前、サムエルからまず油 を注がれ、その後はじめて神から授けられた務めにしたがって神に仕えました (サムエル上16:12-13)。このことから、務めは油注ぎの後に来るものであること が、極めて明らかです。ある人が神の御前で務めを持つためには、その前に必ず 神の御前で油の注ぎがなければなりません。主イエスもそうでした。ですから、 神の言葉からわかりますが、神の御手の中で用いられる人は、必ず先に神の御前 で油を注がれなければなりません。もし人が神の御前で油を注がれていなければ、 奉仕をすることも働きに携わることもできません。 油注ぎは、旧約聖書で多く語られています。旧約では、油注がれることには、た だ一つの意義があるだけです。それは、その人が神のものであることを示すため です。例えば、この本はわたしの物だから、印を押せばそれでよい、とわたした ちは言います。同じように、この人は神のものであるから、その人に油を塗れば よい、と神は言われるのです。油の目的は、分離して、聖別することです。油を 塗るとは、エホバへと分離する、あるいはエホバに帰して聖とする、という意味 です。 このように完全に主に帰されることが、務めの第一条件です。神の御前に務めを 持っている者はすべて、エホバへと聖別されます。ただ聖別されて主へと帰され た者だけが神の御前で務めを持つことができ、ただ聖別されて主へと帰された者 だけが働きに携わることができるのです。聖別が停止する時には、働きも停止し ます。聖別されることにおいて変化が起こった時には、務めもまた変化するので す。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第37巻「一般的なメッセージ(一)」(1998年版)メッセー ジ第6編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。