油塗りは、他の人に対しては力である ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ルカ4:18 『主の霊がわたしの上にある。彼が貧しい人たちに福音を宣べ伝える ように、わたしに油を塗られたからである。彼はわたしを遣わして、捕らわれ人 たちには解放を、盲人たちには視力が回復されることを告げ知らせ、圧迫されて いる人たちを解放して去らせ、(19節)主の受け入れる年、ヨベルの年を告げ知ら せるのである』。 使徒10:38 この方はナザレ出のイエスです。神は聖霊と力をもって、彼に油を塗 られました。イエスは巡回しながら善を行ない、また悪魔にしいたげられていた 人たちを、すべていやされました。神が彼と共におられたからです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 神はナザレ人イエスに、聖霊と力をもって油を塗られました。その後、主イエス は巡回しながら善を行ない、また悪魔にしいたげられていた人たちをすべていや されました。ここで言われている、神が彼に塗られたこの油とは何でしょうか?  それは聖霊であり、また力です。非常に不思議で、しかも尊いことがあります。 つまり聖霊は、わたしたちの上では油であり、他の人に対しては力であるのです。 聖霊の力は他の人のために現れるものですが、あなた自身にとっては油です。油 があなたにとどまっている時はいつでも、人があなたに接する時、力に触れるの です。 ですから、わたしたちが主の御前で聖別されると、わたしたちは自然に他の人へ の力となるのです。力は、第一の問題ではなく、第二の問題です。神の御前で献 身の問題が解決されると、他の人への力となる問題も自然に解決されます。いつ であれ、ささげることが問題となる時、力もまた問題になり、働きもまた問題に なります。油塗りは自然な力をもたらします。 わたしたちは神に仕えることを学ぶ時、しばしば一つの事実に出くわします。そ れは、あなたが立ち上がって話をする時、もしわたしたちが神のために語るので あれば、油塗りがあなたの上にとどまるということです。そこでは無理をして話 したり、一生懸命努力して話したりする必要はありません。なぜなら、油塗りが 自分の上にとどまっていることを知っているからです。言葉はごく普通で、極め て簡単かもしれません。しかし、話せば話すほど力があり、油塗りを感じます。 あなたが油塗りを感じている時、他の人は力を感じるのです。ある時は話をして も、まるで空気が抜けたタイヤのように、何となく気が抜けています。そして、 他の人も力を感じません。違いはここにあります。油塗りがあれば力があり、油 塗りがなければ力がありません。油塗りは自分にとって潤いであり、他の人にと っては力なのです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第37巻「一般的なメッセージ(一)」(1998年版)メッセー ジ第6編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。