キリストの死の三つの面 ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ヨハネ1:29 「見よ、世の罪を取り除く神の小羊!」。 ヨハネ3:14 そして、モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子も上げられなけ ればならない。 ヨハネ12:24 まことに、まことに、わたしはあなたがたに言う。一粒の麦が地 に落ちて死ななければ、それは一粒のままである。しかし、それが死んだなら、 多くの実を結ぶ。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 主の死には三つの面があります。彼は十字架に釘づけられた時、わたしたちの罪 を担い、わたしたちの贖いのためにご自身の血を流された神の小羊でした。これ は第一の面であり、すべての真のクリスチャンはそれを良く知っています。 しかしながら、主の死の第二の面(そして第三の面)、すなわち、主イエスが蛇 の形で十字架につけられて、年を経た蛇とわたしたちの中にある蛇の性質を滅ぼ されたという面を知っているクリスチャンは、あまり多くいません。これはサタ ンを滅ぼす面です。主の死の第三の面は、命を解き放す面です。神聖な命は、あ の小さな人イエスの中にありました。それは、命が一粒の麦の中に閉じこめられ ているようにです。命はその麦粒の中に隠されているので、その殻が破られて、 内側の命が解き放されなければなりません。 神聖な命はわたしたちの中へと分与されました。そして、わたしたちは今やあの 一粒から生み出された多くの麦粒です。これらの多くの麦粒は、一つのパンを造 るのによいものです。一つのパンとは、すなわちキリストのからだ(1コリント 10:17)、教会です。以前、わたしたちは蛇の性質のある罪人であり、神聖な命 とは何の関係もありませんでした。しかし、主のすべてを含む死によって、わた したちの罪が取り除かれ、わたしたちの蛇の性質が対処され、神聖な命がわたし たちの中に分け与えられました。今やわたしたちは生ける麦粒となり、共に構成 されて一つのパン、教会となります。彼を賛美します! ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・ヨハネによる福音書(一)」(1996 年版)メッセージ第26編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版 されています。