二種類のささげ物(3) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 2コリント1:9 実に、わたしたちは自ら、自分自身のうちに死という答えを持ち ました。それは、わたしたちが自分自身に信頼するのではなく、死人を復活させ る神に信頼するためでした。 3:5 わたしたちは、何かを自分から出たものと評価する資格が自分にある、と いうのではありません。わたしたちの資格は神から来るのです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全3編のうちの第3編) わたしたちの過ちは、神が物事を受け入れる基準が、その物事に価値があるかな いかと推論することにあります。しかし、神はものの良し悪しを尋ねることはあ りません。神は、それがご自分から出たものかどうかを問われるのです。神の多 くの子たちのゴールは神を目指していますが、彼らの力は彼ら自身からのもので す。彼らは天的な目的を持っていますが、それを達成するために地的な力を用い てしまいます。カインのささげ物の目的は、不適切であったわけではありません。 なぜなら、アベルと同じように、カインは神を喜ばせたいと思ったからです。カ インとアベルの違いは、彼らのささげ物にありました。わたしたちの目的が、神 に仕えることであり、神を喜ばすことであり、神の働きをなすことであり、神の 子供たちの間に霊的なリバイバルをもたらすことでありさえすれば、わたしたち はどんな手段でも用いることができると思い込むことは、大きな間違いです。わ たしたちは、そのような言い方はしないかもしれませんが、これは事実です。も しわたしたちが自分の力をもって神に仕えるなら、それは肉です。肉は人自身の 力であり、人がもともと持っている力です。もしわたしたちがこの力をもって神 に仕えるなら、カインのささげ物と同じになります。 アベルがカインよりも高尚なゴールを持っていたとは考えないでください。二人 とも同じゴールを持っていました。すなわち、ささげ物をすることでした。アベ ルが受け入れられたのは、カインよりも高尚なゴールを持っていたからではなく、 アベルのささげ物がより優れていたからです。アベルのささげ物は次のような事 実を表しています。すなわち、人は神の御前に出ることができず、人は何もでき ず、人は生きるのではなく死ななければならず、人は神の御前でおののかなけれ ばならず、人は神の御前で自信を持ってはならない、ということです。アベルの ささげ物は、神に対して次のように言っているように思われました、「神よ、わ たしから出るものはどんなものでも、あなたには受け入れられないことを、わた しは知っています。わたしはあなたに仕えることはできません。わたしは、あな たの命とあなたの霊に信頼できるだけです。わたしはただ、命の霊の法則に頼る ことができるだけです」。アベルのささげ物は、このような状況の下でささげら れました。そしてこれは、神への香ばしい香りのささげ物となりました。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第37巻「一般的なメッセージ(一)」(1998年版)メッセー ジ第8編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。