神を喜ばせることができない ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ローマ8:6 肉に付けた思いは死ですが、霊に付けた思いは命と平安です。 (7節)なぜなら、肉に付けた思いは神に敵対するからです。それは神の律法に服 従しないし、服従することもできないのです。(8節)また肉の中にいる者は、神 を喜ばせることができません。 ピリピ3:3 なぜなら、わたしたちこそ割礼の者であり、神の霊によって仕え、 キリスト・イエスの中で誇り、肉を頼みとしないからです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 肉を思う人は、生まれながらの人、本来の人、天然の誕生による人です。この人 は、神の律法に服従しないし、服従することもできないのです。神の言葉は、肉 の人は罪を犯すだけでなく、良い事も行おうとすることを見せています。なぜな ら、8節は次のように言っているからです、「また肉の中にいる者は、神を喜ば せることはできません」。これは、肉の人も神を喜ばせようとすることを、明ら かに示しています。しかし、彼がどんなに努力しても、結局、神を喜ばせること はやはりできないのです。人が自分の肉を通してどんなに神に仕えても、結果は いつも同じです。すなわち、人は神を喜ばせることができないのです。彼のささ げ物はカインのささげ物のように、神に受け入れられることができません。ただ 一つのささげ物だけが、神に受け入れられます。それは、わたしたちの十字架と わたしたちの死です。これは、ちょうど肥えたもののようです。すなわち、神の 御前での香ばしい香りのささげ物のようです。 こういうわけで、神に対するわたしたちの最も大きな奉仕は、わたしたちが神の ためにどれだけのことができるかとか、神のためにどれだけのことを達成できる かということではなく、どれだけわたしたちが死ぬことができるかということで す。ところが、この点は、自分を義とする多くの人たちには受け入れられません。 人はしばしばすべてのことを、自分の働きによって計ります。彼はこのように考 えます。すなわち、もし彼が実を結びさえすれば、また他の人が悔い改めて主を 信じるのを助けさえすれば、彼はこれらのささげ物すべてを神にもたらすことが できると考えるのです。しかし、わたしたちは一つのことを知っておかなければ なりません。すなわち、わたしたちは自分の働きによって神に仕えることはでき ないという点です。人が神へささげる最大のささげ物は、死を表す祭壇の上に置 かれるべきです。祭壇を通過しないで神に受け入れられたささげ物が、これまで にあったでしょうか? 祭壇を通過して、それでもまだ生きているささげ物が、 これまでにあったでしょうか? 神へのささげ物はすべて、死を通過しなければ なりません。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第37巻「一般的なメッセージ(一)」(1998年版)メッセー ジ第8編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。