聖書は奥義的な神の説明である ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ヨハネ15:5 わたしはぶどうの木であり、あなたがたはその枝である。人がわた しの中に住んでおり、わたしもその人の中に住んでいるなら、その人は多くの実 を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからである。 (7節)あなたがたがわたしの中に住んでおり、わたしの言葉があなたがたの中に 住んでいるなら、何でも望むものを求めなさい。そうすれば、それはあなたがた にかなえられる。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 主がわたしたちの中に住まわれるためには、彼の言葉をわたしたちの中に住まわ せる必要があります。どのような手段によってわたしたちは福音を聞き、主をわ たしたちの救い主として受け入れたのでしょうか? 彼の言葉によってです。彼 の言葉を受け入れた時、実はわたしたちは主ご自身を受け入れたのです。なぜな ら、主は彼の言葉の中におられ、彼ご自身が御言葉であるからです。同じ原則に よれば、わたしたちが主をわたしたちの中に住まわせたいなら、彼の言葉をわた したちの中に住まわせなければなりません。 今や、わたしたちは自分の手の中に、主の言葉の満ちた聖書を持っていますから、 主はわたしたちから遠く離れておられるとか、主は依然として奥義的であるとか、 主は依然として実体がなく、とても霊的であるとか言うべきではありません。主 を賛美します。わたしたちは、とても実体のある、利用できる、実際的なものを わたしたちの手に持っています。わたしたちは神の御言葉を持っています。わた したちは御言葉を読み、わたしたちの心と霊でそれを受け入れることができます。 わたしたちは霊の中で日ごとに、瞬間ごとにでさえ、主の言葉に触れることがで きます。わたしたちは主の言葉に触れてさえいれば、主ご自身に触れているので す。 主はとても奥義的です。こういうわけで、わたしたちは決して自分の想像によっ て彼を理解することはできません。そうではなく、わたしたちは聖書の六十六冊 の書を読まなければなりません。わたしたちはこれら六十六冊の書を一語一語、 読まなければなりません。なぜなら、すべての言葉はわたしたちの奥義的な主を 表現し、説明し、定義づけているからです。彼を知りたいと願うなら、わたした ちは御言葉を知り、御言葉をどのように取り扱うかを知らなければなりません。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・ヨハネによる福音書(二)」(1996 年版)メッセージ第34編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版 されています。