空の器を満たす ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 列王下4:3 すると、彼は言った。「外に出て行って、隣の人みなから、器を借 りて来なさい。からの器を。それも、一つ二つではいけません。(4節)家にはい ったなら、あなたと子どもたちのうしろの戸を閉じなさい。そのすべての器に油 をつぎなさい。いっぱいになったものはわきに置きなさい」。(5節)そこで、彼 女は彼のもとから去り、子どもたちといっしょにうしろの戸を閉じ、子どもたち が次々に彼女のところに持って来る器に油をついだ。(6節)器がいっぱいになっ たので、彼女は子どもに言った。「もっと器を持って来なさい」。子どもが彼女 に、「もう器はありません」と言うと、油は止まった。(新改訳) ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 列王記下第4章の物語は一つの重要な霊的原則を見せています。聖書の中で油は 聖霊を表します。やもめの問題は、あまりにも器が少なかったということです。 彼女は空の器を借りてこなければなりませんでした。これは、聖霊のために空っ ぽの部屋がわたしたちの内に必要であることを語っています。彼女は少しばかり 借りるべきではありませんでした。多いほうが良いという意味です。一つの空っ ぽの部屋だけでなく、多くの空っぽの部屋があるべきでした。空いた部分が大き ければ大きいほど、それだけ多く満たされるのです。これは、主がわたしたちに 見せてくださった原則です。すなわち、霊的な進歩は、絶えず空っぽにされ、絶 えず満たされることです。聖霊の働きは、「一度、空っぽにされれば、永遠に満 たされる」のではなく、「いつも空っぽにされ、いつも満たされる」ことです。 こういうわけで兄弟姉妹よ、一度、空っぽにされたので、もう空っぽにする必要 はないなどと考えてはなりません。わたしたちの内での十字架の働きは、絶えず 増し加わり、絶えず深まりゆくものです。 もう一つ非常に重要な事は、油が注がれた所です。それは家の中で、後ろの戸を 閉じて注がれました。戸を閉じることは、婦人と息子たちと油とを戸の内に閉じ 込めることを意味します。これは、わたしたちが直接的に聖霊に対応しなければ ならないことを示します。すべての事柄は、わたしたちと主との間のことです。 困難と勝利はすべて個人的な事柄です。わたしたちに何か間違った事があれば、 何かに対して、まただれかに対して憤慨すべきではありません。わたしたちは戸 を閉じるべきです。すなわち、わたしたちの内側で聖霊に向かうべきです。わた したちの関係は聖霊に対するものだけです。わたしたちが豊かで霊的な生活をす るか貧しい生活をするかは、わたしたちと聖霊とにかかっています。もしわたし たちがすべての事で聖霊との正しい関係にあれば、すべての事は良いのです。 聖霊はすべての空の器を満たし、最後の一つの器さえ満たします。もしもっと多 くの空の器があったなら、もっと多くの油が出たでしょう。油が止まったのは器 がなくなったからであることを、心に留めておかなければなりません。まず油が 止まったのではなく、まずなくなったのは空の器でした。空の器がなくなった時 に油が止まったのです。油そのものが尽きたのではありません。兄弟姉妹よ、神 はわたしたちが自分を空にするのを待っておられます。もしわたしたちの中に無 限の空っぽがあるなら、聖霊はわたしたちに無限の満たしを与えられるのです。 わたしたちが聖霊の祝福を受けるかどうかは、わたしたちが空っぽの器を持って いるかどうかによります。それはわたしたちに聖霊のための余地があるかどうか、 わたしたちの中で聖霊が働く所を備えたかどうかによります。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第37巻「一般的なメッセージ(一)」(1999年版)メッセー ジ第22編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。