死を通して実を結ぶ(1) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ヨハネ12:24 まことに、まことに、わたしはあなたがたに言う、「一粒の麦が 地に落ちて死ななければ、それは一粒のままである。しかし、それが死んだなら、 多くの実を結ぶ。(25節)自分の魂の命を愛する者はそれを失い、この世で自分の 魂の命を憎む者は、それを保って永遠の命に至る。(26節)だれでもわたしに仕え るなら、わたしについて来なさい。そうすれば、わたしのいる所に、わたしに仕 える者もいるのである。だれでもわたしに仕えるなら、父はその人を尊ばれる。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編の内の第1編) この言葉(12:24)は、主がわたしたちのために死なれ、ご自身の命をわたしたち の中に分与されることを示しています。刈り取りへと至る道は、死を経過する必 要があり、十字架を経過する必要があります。神が種をまかれるのには、実を得 るという目的があります。神の目的は、一粒の麦が多くの実を結ぶことです。神 は、御言葉をはっきりと解釈するために一人の預言者または多くの預言者を遣わ されたのではありません。神はご自身の御子を遣わし、ご自身の御子を一粒の麦 とされました。この一粒の麦が地に落ちてはじめて、多くの麦が出て来たのです。 実を結ぶことは、御言葉を明確に解釈することや、聖書をよくよく暗記すること から来るのではありません。種が地に落ちる時、多くの麦粒が生み出されるので す。これが十字架の働きです。 疑いもなく、24節は主ご自身のことを指しています。しかし、25節で主はわたし たちに解釈を与えています。彼が語った言葉は一つの原則であって、それは彼ご 自身にのみ適用される原則ではなく、一つの普遍的な原則です。これ(25-26節) によってそれはさらにはっきりします。だれでも主に仕える者は、同じ経験を経 なければなりません。一粒の麦が地に落ちて死ぬことは、贖い(このことにわた したちは何の分もありません)を指しているのではなく、魂の命を取り除くこと を指しています。原則は、死が命をもたらすということです。パウロが、死は自 分の中で働き、命は他の人の中で働くと言った時、彼の意味していたことはこれ です(2コリント4:12)。 このゆえに、わたしたちが種となるだけでは十分ではありません。わたしたちは、 実を結ぶ道を知らなければなりません。実を結ぶ道は、メッセージをしたり教え たりすることによるのではありません。実を結ぶ道は、種をまきに行くことです。 神がご自身の御子を地上に遣わされたのは、御言葉を宣べ伝えるためではありま せんでした。神ご自身の御子を種として地にまきました。今日、神はわたしたち をも種として、ここに、またあそこにまいておられるのです。 (明日に続く) ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第37巻「一般的なメッセージ(一)」(1998年版)メッセー ジ第21編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。