堕落の経験 ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ローマ9:23 しかも、栄光へとあらかじめ用意しておられたあわれみの器に、彼 の栄光の豊富を知らせようとされたとすれば、どうなのですか? 2テモテ2:21 ですから、だれでも自分自身をこれらの卑しいものから清めるな ら、その人は尊いことに用いられる器となり、聖別され、主人に役立ち、あらゆ る良いわざに間に合う者となるのです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― もともと、人は神の器として創造されました。神の永遠の目的は、ご自身を人の 内側に入れ、ご自身を人と混ざり合わせ、人をご自身で全く満たすことです。ア ダムとエバの失敗は、神にこの目的を達成させずに、かえって神から遠く離れて しまったことです。人が神から遠く離れるとはどういうことでしょうか? それ は人が内側で神に正しい地位を与えないということです。それは、人の内にある 何かがその人の存在を占有してしまうことです。アダムとエバが善悪知識の木の 実を食べた時、彼らの内側を占有していたのは、神が彼らに命令した言葉ではな く、善悪知識の木の実が食べるに良く、目に美しく、賢くなるに好ましいという ことでした。これらの事が、彼らから神の地位を不法に奪ってしまったのです。 その結果、彼らは堕落してしまいました。 わたしたちは、自分自身の状態がどうであるかを自問する必要があります。救わ れた日から今日に至るまで、わたしたち自身の内側で、どれほど多くの人や事や 物が依然としてわたしたちを占有し、神からその正当な地位を奪っていることで しょう。自分自身のことを考えてみる必要があります。愛する兄弟姉妹よ、もし 神の霊がわたしたちの内なる目を開いてくださるなら、わたしたちはすぐに自分 の全存在の中で、どれだけ多くのものが、神のみに属する地位を占有しているか を見ることでしょう。 ある兄弟は、人の心はガムのようだと言いました。ガムは何かに触れると、それ にねばりつきます。衣服に触れれば、衣服にねばりつきます。テーブルに触れれ ば、テーブルにねばりつきます。わたしたちは、ある時は安楽な生活に、ある時 は個人的な野心にねばりつきます。わたしたちがちょっと何かにねばりつけば、 それだけで神を正しく愛することができなくなります。わたしたちは自分の持っ ている何かにねばりつくだけでなく、持っていないものにもねばりついてしまい ます。わたしたちは、自分の困難にねばりつくこともあります。また幻想や虚栄 にもねばりつくことがあります。それが何であれ、わたしたちの内側で神の地位 が強奪されているなら、わたしたちは堕落した人です。ある人は救われてすでに 十年になるかもしれません。初めの五年はとても良かったのですが、後の五年は、 その人の心の中で何かが神の地位を奪い取り、その人は堕落してしまいました。 その人は続けていつものように集会をしています。いつものように祈り、神に仕 えています。しかし、内側は堕落しているのです。兄弟姉妹よ、神の目的は、人 を神の器とすることです。わたしたちが神以外の何かに少しでも占有されただけ で、またわたしたちの内側で神に正しい地位を与えなかっただけで、わたしたち は堕落するのです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第37巻「一般的なメッセージ(一)」(1998年版)メッセー ジ第23編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。