わたしたちの喜びは直接、神と結びついている ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― イザヤ49:4 しかし、私は言った。「私はむだな骨折りをして、いたずらに、む なしく、私の力を使い果たした。それでも、私の正しい訴えは、主とともにあり、 私の報酬は、私の神とともにある。」(5節)今、主は仰せられる。主はヤコブをご 自分のもとに帰らせ、イスラエルをご自分のもとに集めるために、私が母の胎内に いる時、私をご自分のしもべとして造られた。私は主に尊ばれ、私の神は私の力 となられた。(新改訳) ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― イザヤは預言者の一人であり、キリストに関する多くの預言をしました。イザ ヤ書第49章5節において、地上における主の働きを見ます。4節は、地上での主 の働きが繁栄したのかどうかを告げています。神が主イエスを地上に遣わされた 目的は何であったのでしょうか? それはヤコブの家を神に連れ戻し、彼らを神 のもとに集めるためでした。しかし、その結果はどうだったでしょうか? 成功 したでしょうか? 人の目から見れば、わたしたちの主は完全に失敗でした。ヤ コブの家は神に戻りませんでした。またイスラエルは主を退け、主を否み、主を 十字架につけました。主の弟子たちの一人でさえ主を裏切りました。ですから、 4節は言います、「わたしはむだな骨折りをして、いたずらに、むなしく、わたし の力を使い果たした」。兄弟姉妹よ、もしわたしたちが地上で人々に卑しめられ、 働きの結果がなく、神のみこころを少しも達成していないような状況であれば、 きっと悲しみの涙を流したことでしょう。たとえ涙を流さなくても、わたしたち は確かに悲しんだことでしょう。またたとえ悲しまなかったとしても、少なくと も消極的になったはずです。 しかし、わたしたちの主はそうではありませんでした。彼はご自身の望んだもの、 願ったものを得ることがなかったのですが、彼の正しい訴えはエホバと共にあり ました。彼は多く労苦しても働きの結果を見ませんでした。しかし、彼の正しい 訴えはエホバと共にありました。言い換えれば、彼が正しく取り扱われたかどう かは、エホバにかかっていることでした。「私の報酬は、私の神とともにある」。 彼はヤコブの家から、あるいはイスラエル人からは何も得られませんでした。し かし、彼はエホバからの報酬を受けられます。ですから、彼は満足でした。主は 不平を言ったり、泣いたり、悲しんだりされませんでした。これがわたしたちの 主の態度です。 兄弟姉妹よ、これは一つの事柄をわたしたちに見せています。すなわち、わたし たちは働きに直接的に関係を持つのではありません。わたしたちが直接的に関係 を持つのは神だけです。わたしたちは物事や人々と直接的に関係を持つのではあり ません。わたしたちが直接つながるのは神だけです。いつでもわたしたちが働き や物事や人々と直接的に関係を持っているなら、わたしたちに困難や逆境が来る 時に、心は傷ついたり、泣いたり、苦しんだりします。しかし、神と直接つなが っているなら、わたしたちは拒絶されても喜びがあります。たとえ困難に遭遇し、 すべての事で失敗に見えたとしても、わたしたちは歓喜することができます。も し神と直接つながっているなら、不成功も失敗もわたしたちに触れることはあり ません。わたしたちは一つの事に注意を払うだけです。すなわち、わたしたちの 正しい訴えがエホバと共にあるかどうか、わたしたちの報酬がエホバと共にある かどうかです。わたしたちの訴えが神と共にあるなら、わたしたちの報酬も神と 共にあります。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第37巻「一般的なメッセージ(一)」(1998年版)メッセー ジ第32編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。