キリストはわたしたちのなだめである ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ローマ3:23 なぜなら、すべての人は罪を犯したので、神の栄光に欠けており、 (24節)値なしに、彼の恵みにより、キリスト・イエスにある贖いを通して、義と されるからです。(25節)神はこのキリスト・イエスを立てて、なだめの場所とさ れました……。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― なだめには両当事者が関係しており、一方が他方に悪いことをし、他方に負債が あるようになったので、相手の要求を満たす行動をしなければなりません。加害 者が被害者をなだめようとするなら、相手の要求を満たさなければなりません。 例えば、わたしがあなたに悪いことをしたか、あなたに負債があるとすると、わ たしたちの間に問題が存在します。この問題、あるいは負債のゆえに、あなたは わたしに要求するものがあり、あなたの要求が満たされなければ、わたしたちの 間の問題は解決され得ません。ですから、なだめの必要があります。 これは贖罪の事柄です。償う(atone)という言葉は、二つの言葉、すなわち「at」 と「one」から成っています。わたしたちは「償い」(atonement)という言葉を、 「at-one-ment」と書いてもいいのです。償うという意味は、両者を一にもたら すことです。両当事者が分離されて、一つになろうとする時、なだめの必要があ ります。これが償いです。なだめの行為が償いです。なだめは、わたしたちを神 と一つにすることを意味します。なぜなら、わたしたちと神との間に分離があっ たからです。わたしたちを神から引き離し、彼との直接の交わりを持つことを不 可能にしていた問題は、何であったのでしょうか? 問題はわたしたちの罪でし た。わたしたちの罪が、わたしたちを神の臨在から引き離し、神がわたしたちに 来られるのを妨げました。ですから、わたしたちは神の要求をなだめるなだめを 必要としました。キリストはなだめの供え物としてご自身をささげた時、十字架 上でこれを達成されました。十字架上で、彼はわたしたちのためになだめをなし、 わたしたちを神に連れ戻し、神と一つにしてくださいました。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・ローマ人への手紙(一)」(1997年 版)メッセージ第5編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版され ています。