神の栄光によって召される ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ローマ4:1 それでは、わたしたちの先祖アブラハムは、肉によれば何を得たと 言うのでしょうか? 使徒7:2 ……わたしたちの父祖アブラハムが……まだメソポタミヤにいた時に、 栄光の神が彼に現れて……。 2コリント4:4 この時代の神は、彼らの中で、信じない者たちの思いをくらま してしまい、神のかたちであるキリストの栄光の福音の輝きを、彼らの上に照ら させないようにしています。 ―――――――――――――――――務めの言葉――――――――――――― ローマ人への手紙第1章は、(創世記にある)人類の堕落の歴史にしたがって書 かれました。それは、神を持つことを認めず、神を偶像に変え、淫行へと落ち込 み、あらゆる種類の悪を生み出しました。創造された種族は神を放棄し、神も創 造された種族を放棄しました。しかしながら、神はこの種族から一人の人と彼の 妻を召し出しました。神がアブラハムを召したのは、栄光の神として彼に現れる ことによってでした。神は彼を単なる言葉によって召したのではありません。神 は彼をご自身の栄光によって召しました。アブラハムは神の栄光を見て、引き付 けられました。 わたしたちの経験も同じです。ある意味において、わたしたちも神の栄光を見ま した。わたしたちは福音を聞き、それがわたしたちに浸透した時、神の栄光を見 ました。あなたは救われた時、神の栄光を見なかったでしょうか? わたしは野 心的な青年であった時、それを見ました。わたしには神を受け入れる意図は全く ありませんでしたが、福音がわたしの中に浸透した時、「神よ、あなたを求めま す」と言わざるを得ませんでした。わたしは、神の栄光がわたしに現れたことを 否定できませんでした。このような経験は説明することができません。福音がわ たしたちの中に浸透した時にわたしたちが見たものを、適切に言い表し得る人の 言葉はありません。わたしたちが言い得ることはただ、神の栄光がわたしたちに 現れ、わたしたちを引き付け、わたしたちを召したということです。わたしたち はアブラハムのように、栄光の神によって召されました。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・ローマ人への手紙(一)」(1997年 版)メッセージ第6編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版され ています。