人は器として創造された(1) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 創世記1:26 そして神は、「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を 造ろう……」と仰せられた。 ローマ9:21 それとも陶器師は土くれに対して、同じかたまりから一つを尊い器 に、もう一つを卑しい器に、造る権威を持っていないのですか? (23節)しかも、 栄光へとあらかじめ用意しておられたあわれみの器に、彼の栄光の豊富を知らせ ようとされたとすれば、どうなのですか? (24節)神はわたしたちさえ……。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうち第1編) 人は神のかたちに創造され、神のかたちはキリストですから、人はキリストのか たちに創造されました。ローマ人への手紙第5章14節は言っていますが、最初の 人アダムはキリストの予表、キリストの型でした。わたしたちがある人の写真を 撮るなら、その写真はその人の型、あるいは予表です。写真がある特定のかたち の表現であるのと同じように、人は神のかたち、すなわちキリストの表現となる ように造られました。 手袋の例を用いましょう。手袋は手のかたちに、手の形に合わせて作られました。 手にも手袋にも五本の指があります。手袋が手のかたちに作られたのは、ある日、 手が手袋の中に入るためです。手は手袋を満たし、手袋は手を表現します。なぜ 人はキリストのかたちに造られたのでしょうか? なぜなら、神の意図は、ある 日キリストが人の中に入られ、人によって表現されるためでした。 ローマ人への手紙第9章21節と23節ははっきりと、人は器、すなわち容器として造 られたと言っています。人はナイフやハンマーや、何かの道具ではありません。 人は器、容器です。さらにまた、人は神を入れ、神の栄光を入れる栄光の器とさ れたと言っています。この器は手袋のようです。ある日、手がその中に入ります。 中味が容器に入ります。わたしたちはまさにキリストを入れる器です。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「旧約ライフスタディ・創世記(一)」(1998年版)メッセー ジ第6編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。