アダムとエバはキリストと教会の予表である(1) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 創世記2:18 その後、神である主は仰せられた。「人がひとりでいるのは良くな い。わたしは彼のために、彼にふさわしい助け手を造ろう。」 エペソ5:31 「このゆえに、人はその父母を離れて、その妻と結び合い、二人は 一体となるのである」。(32節)この奥義は偉大です。実は、わたしはキリストと 教会について言っているのです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全3編のうちの第1編) 人が創造された後、神は人について言われました、「人がひとりでいるのは良く ない。わたしは彼のために、彼にふさわしい助け手を造ろう」(創2:18)。人は完 全でしたが、全体的ではありませんでした。例えば、人の頭は完全ですが、体が なければ全体的ではありません。こういうわけで、わたしはしばしば若い人たち に、結婚するようにと告げるのです。もし結婚しないなら、あなたは完全な人で はありますが、全体的ではありません。ですから、神はアダムを見て、こう言わ れたかのようです、「アダムよ、あなたは完全ですが、一単位の半分にすぎませ ん。あなたは寂しすぎます。わたしはあなたのために助け手を造りましょう。わ たしはあなたに配偶者を造りましょう」。 人は、真の宇宙的な夫である神の予表です。神は正当な人を得られるまで、ひと りでした。神がひとりでいるのは良くありませんでした。神は絶対的に、また永 遠に完全ですが、全体的ではありません。神が不完全であると言うことは、冒と くを語ることです。わたしたちの神は永遠に完全です。それにもかかわらず、教 会がなければ、神は全体的ではありません。教会がなければ、神は妻のない夫、 あるいは体のない頭のようです。ですから神が、アダムがひとりでいるのは良く ないと言われた時、それは、神ご自身が全体的ではなく、神がひとりでいるのは 良くないことを意味したのです。アダムが妻を必要とすることは、神が補足を持 たれる必要があることを予表し、描写しています。 (明日に続く) ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「旧約ライフスタディ・創世記(一)」(1998年版)メッセー ジ第17編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。