からだの中での交わりの生活(1) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 創世記12:8 彼はそこからベテルの東にある山のほうに移動して天幕を張った……。 彼は主のため、そこに祭壇を築き、主の御名によって祈った。(新改訳) 1ペテロ2:5 あなたがた自身も生ける石として、霊の家に建造されていきなが ら、聖なる祭司の体系となって、イエス・キリストを通して、神に受け入れられ る霊のいけにえをささげなさい。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全3編のうちの第1編) 「べテル」の原文の意味は、「神の家」です。神は、サムソンのような力があっ ても散漫な人を、何千何百も必要としておられるのではありません。神はまた、 ご自分の生ける石が乱雑な石塚になることを望んでおられるのでもありません。 神の意図は、一つの宮、すなわち神の家を建造することです。 神はご自分の目的を成就するために一つの器を起こされます。その器は神の家で なければなりません。福音を宣べ伝えることのできる特別な人たちだけが、神の 目的を成し遂げることができるのではなく、またリバイバル集会を導くことので きる人たちだけが、その目的を遂行し得るのでもありません。力のあるすべての 人たちが神の家となり、キリストのからだとなってこそ、役立つことができるの です。神は必ずすべての個人主義からわたしたちを救い出されます。神がわたし たちを救われたのは、わたしたちを一人の良いクリスチャンにならせるためだけ ではなく、神の子供たちと共に神の家となって、共に一つのからだとならせるた めです。 神の家は単に一つの原則ではなく、一つの命です。問題は、多くのクリスチャン がキリストのからだを単なる一つの原則としか考えず、キリストのからだの命を 見ていないことです。わたしたちは、すべてのことにおいて互いに協力すべきで あると考えており、また協力することにいつもしぶしぶ同意しますが、わたした ちの心はそうでありません。そのような心であれば、何の役に立つでしょうか?  わたしたちは覚えておかなければなりませんが、からだは一つの命であって、 単なる一つの原則ではないのです。もしからだが一つの命であることを知らずに、 一つの原則にしたがって行うだけなら、それは外側でまねているにすぎません。 (明日に続く) ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第35巻「アブラハム、イサク、ヤコブの神」(1998年版) 第3編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。