聖書とキリストに対する心が必要である(3) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ヨハネ5:39 あなたがたは聖書を調べている。それは、その中に永遠の命がある と思っているからである。しかし聖書は、わたしについて証しをするのである。 (40節)しかもあなたがたは、命を得るためにわたしに来ようとはしない。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全4編のうちの第3編) エルサレムにいた宗教的な人たちのだれも、星占い師たちと共にベツレヘムへ行 きませんでした。これは実に奇妙です。もしあなたがこれらの祭司たちの一人で あったなら、賢人たちと共に行って、イエスが実際にエルサレムで生まれたこと を見ようとしなかったでしょうか? もしわたしがそこにいたなら、必ず行って、 キリストが実際に生まれたかどうかを自ら見いだそうとしたでしょう。ところが、 彼らはだれも行きませんでした。彼らは知識を持っており、メシヤはベツレヘム で生まれることを人々に告げることができました。それにもかかわらず、彼らの だれも自ら行きませんでした。彼らは聖書の知識のためでしたが、メシヤという 生ける方のためではありませんでした。今日の状態はどうでしょうか? 多くの 人は非常に聖書的ですが、ただ聖書に注意を払うだけで、生けるキリストに注意 を払いません。もしユダヤの宗教家たちがキリストに注意を払っていたなら、ベ ツレヘムへ行ったでしょう。そこは古代の旅の方法によったとしても、エルサレ ムから遠くありませんでした。ベツレヘムは遠くなかったのですが、聖書学者、 長老、祭司のだれも、行こうとはしませんでした。これは、あなたが聖書の知識 を持っていても、生けるキリストに対する心を持たないことがあり得ることを証 明します。ビジョンを持つのは一つのことであり、聖書の知識を持つのは別のこ とであり、生けるキリストに対する心を持つのはさらに別のことです。わたした ちはみな祈る必要があります、「主よ、あなたに対する心をわたしに与えてくだ さい。わたしはビジョンを見たく、聖書を知りたいです。それにもまして、あな たを追い求める心を持ちたいです」。 (明日に続く) ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・マタイによる福音書(一)」(1997 年版)メッセージ第7編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版さ れています。