バプテスマ――終結と発芽 ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― マタイ3:6 自分の罪を告白し、ヨルダン川で彼〔ヨハネ〕によってバプテスマ された。 ローマ6:3 それとも、キリスト・イエスの中へとバプテスマされたわたしたち はみな、彼の死の中へとバプテスマされたことを、あなたがたは知らないのです か? (5節)もしわたしたちが、彼の死の様の中で彼と共に成長したなら、彼の 復活の様の中にもあるのです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― マタイによる福音書第3章5節と6節は、多くの人が自分の罪を告白し、ヨルダン 川で彼(ヨハネ)によってバプテスマされたことを啓示します。人々をバプテス マするとは、彼らを水の中に浸すこと、水の中に葬ることであり、それは死を象 徴します。バプテスマのヨハネはこれを行なって、悔い改める者はみな、ただ葬 られるだけであることを示しました。これはまた古い人を終わらせることを象徴 します。それは、新しい開始が復活の中で実現され、命を与える方であるキリス トによってもたらされるためです。このようにして、ヨハネの務めに続いて、キ リストが来られました。ヨハネのバプテスマは、悔い改めた人たちを終結させた だけでなく、彼らをキリストへともたらして、命を得させました。バプテスマは、 聖書では死と復活を暗示します。水の中にバプテスマされることは、死の中に入 れられ葬られることです。水から上げられることは、死から復活させられること を意味します。 だれかがバプテスマのヨハネの前で悔い改めると、いつもヨハネは彼を水の中に 入れました。ヨハネは悔い改めた人をバプテスマすることによって、彼らと彼ら の過去すべてが終結させられ葬られなければならないことを示しました。しかし ながら、葬りは終わりではありませんでした。なぜなら、葬りは常に復活をもた らすからです。こういうわけで、一方において、葬りは終結であり、もう一方で、 それはまた発芽です。ヨハネがバプテスマの中で終結させた人たちは、彼の中で ではなく、彼の後に来られる方の中で、復活させられました。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・マタイによる福音書(一)」(1997 年版)メッセージ第9編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版さ れています。