悲しんでいる人たちは幸いである ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― マタイ5:4 悲しんでいる人たちは幸いである。彼らは慰められるからである。 イザヤ61:3 シオンの悲しむ者たちに、灰の代わりに頭の飾りを、悲しみの代わ りに喜びの油を、憂いの心の代わりに賛美の外套を着けさせるためである。彼ら は、義の樫の木、栄光を現わす主の植木と呼ばれよう。(新改訳) ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 悲しんでいる人たちは祝福されており、幸いであると言うのは、理屈に合うよう には思われません。しかしながら、王と王国で満たされた霊をもって、ある期間 祈るなら、わたしたちは今日の否定的な状態を悲しみ始めるでしょう。この世の すべての状況は、神のエコノミーに対して否定的です。サタン、罪、自己、暗や み、この世が、地上のすべての人の間で勢力を振るっています。神の栄光は侮ら れ、キリストは拒絶され、聖霊は阻まれ、教会は荒廃し、自我は腐敗し、全世界 は邪悪です。ですから神は、わたしたちがこのような事態を悲しむことを望んで おられるのです。王国がわたしたちの中にあるので、わたしたちは内住の王によ って従わせられ、制御され、支配されています。この支配の下にいて、環境と今 日の世界の状態を見るなら、わたしたちはため息をつき、悲しむでしょう。 しかしながら、この悲しみは祝福です。なぜなら主は、悲しんでいる者は「慰め られる」と言われたからです。もしわたしたちが、神と彼のエコノミーにしたが って悲しむなら、天の王国という褒賞を受けることによって慰められます。わた したちは、すべての否定的な状況に対する神の天的支配を見るでしょう。何度も わたしは悲しんで慰められた経験をしました。失望してはいけません。わたした ちは悲しまなければなりません。しかし、わたしたちは望みで満たされています。 王が来ようとしておられ、敵は打ち破られ、地はキリストによって再び得られる でしょう。遅かれ早かれ、わたしたちは慰められます。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・マタイによる福音書(一)」(1997 年版)メッセージ第5編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版さ れています。